集中とメンタル
ただいまバンクーバーオリンピック競技の真っ只中。
時間のある限り、テレビにかじりついては選手を応援している。
世界で通用する冬のスポーツがこんなにも数多くあるのか、と驚くばかり。ついでに競技のルールについてもまとめて知ることができ、オリンピックは我が家の楽しみのひとつとなっている。
昨日は男子フィギュアスケートをやっていた。怪我からの完全復帰を遂げた選手の堂々とした迷いのない滑り。一方、靴紐が演技中に切れるというハプニングに見舞われ、その後の演技でもアクシデントを引きずってしまった選手もあった。フィギュアスケートはメンタルがもろに影響するスポーツである。お茶の間の素人でさえ、その選手の調子のよしあしが表情や体の動きから見てわかる。
スピードスケートなども然りである。トラックを二人が並んで滑走し、ゴールタイムを競い合う競技だが、同時に走る相手のスピードやペース配分にも影響をうけてしまう。
「自分の滑りができなかった」というコメントをよく聞くが、競技の最中にメンタルの何かが働いてしまうのであろうか。邪念や余計な心配をとりはらい、競技に集中するための方法を確立することは選手にとって必須であり、本番直前までヘッドホンで音楽を聴いている姿を見かけたりするが、選手それぞれに固有の集中方法をもっている。
普段の生活を振り返ってみると、「集中できない」場面はたくさんある。読書をしているのに別のことが頭をよぎってしまって、なかなか内容の理解が進まないとき。ゴルフのコンペで飛距離を競うドラコンのホールにさしかかると、意識するあまり本来のショットが出ないどころか、真っ直ぐにすらあたらないといった状況が起こったりする。これらは現在のアクションに集中できていないことから生じている。 仕事でも、気がかりなことを引きずっていると他のことが手につかなかったり、自分が「やりづらい」と思っている相手に企画案を提示しなくてはならないときなど、ただただ不安や心配などのネガティブな気持ちが自分を占有し、企画には到底手がつかないといった状況におちいることもある。
集中できるときと、できないときとがある。だが集中できるときが来るのをただ待っているのはナンセンスだ。集中力を自ら呼び起こすには、邪念の元になる気がかりなことをできる限り取り除くことと、もうひとつ。現在行っているアクションを自ら進んで行う、という意識に変えることだ。ネガティブな考え方をやめてポジティブシンキングに変えるとも言えよう。
このアイディアのヒントとなったのは、W.ティモシー ガルウェイ氏の著書であるインナーゲームという本で、今は中古でのみ入手可能となっている。
この本は著者がテニスのコーチを行いながら、見つけ出したひとつの法則の紹介であり、スポーツとメンタルは切っても切り離せないものだということがこれを読んでいても感じられる。
それにしても、3回転ジャンプ、4回転ジャンプ・・とアスリートの挑戦は続き、人間の限界というのは果たしてあるのだろうか。4回転半が登場するのも遠い話ではないかもしれない。