腑に落ちるまで
「腑(ふ)に落ちる」という言葉がある。
一般には「腑に落ちない」が常用されているらしい。腑=はらわた を意味し、腹の底にまで落ちる、納得するという意味で用いられる。私はあまりこの表現を用いないが、周りにこの言葉を使う人がいる。数人でプロジェクトの打ち合せをしていたときのこと、新しいアイディアを出しあい、そのコンセプトや効果を説明する。発案側は完璧な説明だと思っている。根拠の説明も十分できている。が、彼女は納得していない様子。「どうも腑に落ちない」といって、様々な角度から質問したり状況を考えたりしている。ああでもない、こうでもないと議論した末に、やっと納得の行く論理を自分の中で見つけられたところで一言、「腑に落ちた」。
「このひとは体の内部に落ちるまで考えてるんだ。。」とそのときに思ったものである。彼女と出会って以来、「腑に落ちる」を意識して使わせてもらっている。
この「腑」に呼びかけるというのは個人差があるようだ。人間の学習や理解は、外界から様々な情報や信号を受け取りながら日々行われているが、そこではどの感覚器官を積極的に使っているかの個人差が生じている。目からの情報に頼っているか、耳から音を通してなのかというように、情報収集に優位な感覚器官が人によって異なるというものである。触覚が優位という人は、嬉しいときに全身でその気持ちを表現する傾向にあるという。腑に落としたいタイプは触覚が優位といえるらしい。
腑に落ちるまで追求するとは素晴らしいことだ。受験対策のための詰め込みとは正反対であり、学習とはこうありたいものである。
研修のエクササイズなどは絶好のチャンス、様々な感覚器官を使いながら学び・体験ができるように意識したいものである。