うぉー、今日は無礼講だあ、ゴラァ、ぶ部長ぉぉ!
と、やってはいけません。決して!ましてや、部長さんを怒鳴っては、あなたの明日も、知れています。さようならです。これは無礼講の意味を取り違えているからです。
無礼講の反対は、礼講。礼講は神事や正式な会席などで、基本的には盃を使い、たとえば三三九度のように、漆塗りの盃に、漆塗りの銚子を使って御酒を注ぎ、順序に従ってひとりひとりに回して飲みます。謡いなどを演じたりします。神事の場合は、「直会(なおらい)」と言います。これは、酔っぱらわずに、儀式の一部として行われます。
無礼講は、たとえばその直会のあとに、席を変え、盃を猪口やぐいのみに変え、銚子を徳利に変えます。居酒屋でよく、「お銚子 3 本!」とか言いますが、あれは徳利です。銚子は結婚式で三三九度をする際に、巫女さんが持っている柄の付いた酒器が銚子です。巫女さんの場合、瓶子である場合もありますね。
無礼講の場合は、決まった順序やしきたりなどはなく、自由に食事とお酒を楽しむことが出来ます。ここでも当たり前ですが、深酒で酔ってしまったりするのは、やはり醜い物です。今日は無礼講で、といわれても、はしゃぐのではなく、年功を考えておとなの飲み方をしたいものです。大学生のコンパではないのでね・・・。
礼講・無礼講については、こことか、ここに記載されています。これ、勉強になります。
ここで年功と書きましたが、「忘年会」というのを、この一年間の苦労を忘れるため、と普通捉えていますが、私が昔聞いたのは、この宴会の間は、お互いの年齢を忘れて、胸襟を開き、お互いの労をねぎらうことが本来の意味だ、というのです。これは、儒教的であり長幼の序、のようですが、日本や東アジアの美しい文化だと思います。年齢の差を忘れてというのは、年上の方がリラックスしていいからね、と言ってくれていると理解すべきと思います。
宴会は、バカをする場ではないので、会話を楽しみ、食事や飲み物を堪能して、共同意識を盛り上げる方法です。といいながら、受けの良いジョークや、バタバタと埃をたてない見せ物など、みんなを楽しませる工夫は重要です。私の同僚に、カードマジックができる人がいて、最高です。