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ITの技術や方向性考え方について別の選択肢を追求します

変化することに臆病にならない(自戒を込めて)

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1985年3月、私はIBMのニューヨーク州イーストフィシュキル工場にいた。ロジックチップの故障解析を、当時高性能なグラフィクス端末であったテクト ロニクス社製ディスプレイに写し出すシステムを日本に導入する為、研修を兼ねて一ヶ月間の出張であった。これが初めての海外出張だった。

私と同様にフランスからもひとりエンジニアが来ており、彼と、ニューヨーク生まれでニューヨークしかしらないアメリカ人と3人で研修を受けていた。システムに使用されていた言語はその当時にあった、APLという言語で、アセンブラにもCOBOLにもPL/Iにも似ていない、たいへん特殊な言語だった。

ロジックチップでテストデータのインプットに対して、想定されないアウトプットが出てきた場合、それがどこがショートしているのか、もしくは半導体の印刷に狂いがあるのか、画面で指摘してくれるシステムで、スペックと同時にソースコードを読み込んで理解する研修だった(わー。俺って、なんてすごい仕事を してたんだろう!)。

作ったのはとんでもなく優秀な博士。でも、天才過ぎてコードがとんでもなく難解なため、イーストフィシュキルのエンジニアが10人ぐらい集まってチームを作り、完全書き換えということになった。

フランスから来ているエンジニアとアメリカ人のエンジニアと3人でカフェテラスで昼飯を食っていたら、そのフランス人が突然泣き始めた。この研修を受ける 為に、一生懸命APLを勉強してきた。APL以外の言語は知らない。言語が変わったら、私には分からない。この仕事を失ってしまう。ということだった。私 はこの時点で、アセンブラ、PL/IとIBM社内使用言語を知っており、そのIBM社内使用言語に書き直されるので、全然困らなかったのだ。

泣かなくったって、もうひとつ言語を勉強すればいいのに、と思ったが、フランス人の彼にとっては、立っている地面がなくなってしまうほどのショックだったのだろう。

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生きていく上で、状況によって自分を大きく変化させたり、変わらなければならない時がある。厭だと殻に閉じこもってもなんの益もない。変わらなくてはなら ない、と思ったら、思い切って自分から変わっていくことも重要だと思う。「君子豹変す」の本来の意味は、コロッと裏を返すように変わることでなく、状況を 判断して、正しいと思ったら、すぐに自発的に変わることなのだと思う。

自分の持っている、スキルだとか、信条だとか、生活条件、家庭環境など、変化に対応する際に足かせとなるものが多いのは確かだ。でも、それらに囚われて本質を失うより、いっそ、思い切って飛んでみることも必要なのだ。

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7月16日は、福田総理の誕生日?いやいや、全国的に私の誕生日です!!!この数年、私の誕生日に合わせて休暇を取り、自分の次の一年をじっくり考えるこ とにしている。今年は、なんと運良く京都にホテルが取れたので、祇園祭に来ています。そして、宵山で山鉾を見て回りながら、上のようなことを考えました。 次の一年は、たぶん私にとって、何か変化する年にしようと思っています。

おすそ分けで、祇園祭宵山の写真を貼っておきます。

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