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日本人は、「付きしたがう」民族である

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私は、司馬遼太郎さんの大の愛読者である。ただし、歴史学に対して司馬さんには大罪がある事には気付いている。この事をなんとか書き上げたいのだが、巨象に対する蚤のような私では、歯が立たず、立ちすくんでいる。たとえば、司馬遼太郎さんが作り上げた「龍馬が行く」の坂本龍馬像と、実際の歴史的な存在としての坂本龍馬には、開きがあると思っている。

そういった、複雑な思いがあるが、それ以上に司馬さんの洞察力には、感嘆してしまう。きょうは、「歴史の中の邂逅<1>」のなかで、思わず納得してしまったお話です。

「倭」「倭人」とは、古代日本や日本人を指す言葉だった。古代朝鮮語や中国語を知っているひとにとって「倭奴(ウェノム)」という言葉は、最悪の罵倒の言葉なのだそうだ。しかし、司馬さんは「倭」という言葉に、土着性、土俗性を感じ、好んでいるそうだ。

「倭」の意味には、諸橋轍次氏の「大漢和辞典」では、「したがうさま」という意味があるとされている。

倭というものは(中略)みずから大政略や大商略を考え出すよりも、そういうものを持つ者に倭(したが)う。

倭は、会社に勤めることをよろこび、会社が大きいほどそこに大商略があるとして安心し、さらにはその会社のその商略をするどく戦術化することに長けている。また会社の命令とあればたいていの艱難辛苦にも耐え、ときには寿命をちぢめても後悔しない。

倭には、類のない小気味よさというものがあるであろう。それは小思慮に長じ、その小思慮の中で命をもなげうつという飛躍をするところだが、同時に、小思慮しかもたないために大思慮を他に求め、その大思慮に身を寄せるこににえもいえぬ昂奮を覚えるというところがあって、そのあたりに気味悪さが匂いたつらしい。
 歴史の中の邂逅<1>より

これは、週間読売の1974年3月16日号に掲載されたもので、三十余年を経て、これはいま現在のことを言っているとしても、なんの不思議も感じない。これが日本人の本性なのだろう。

小思慮というのは、昔の農村の庄屋さんのレベルなのだろう、と思う。二百何十年も続いた徳川幕府も、じつはこの農村の庄屋さんレベルの発想で、なんら大思慮も働かなかった。明治維新を起こした薩長も、ごく一部には、中思慮が働いたと思うが、それは大久保利通だけだったようにも思える。

「・・・現在にも、数多くのすぐれた非倭のひとがいるし、・・・」と慰めの言葉を司馬さんは書いているが、たとえば日本のIT業界で大思慮と思える人には、まだひとりも会っていない気がする。しいて言えば、北城恪太郎さんかなあ。米国でもあまりいない。スコット・マクニリには、オーラを感じた。生スコットに何回か会っているので。私がサンに留まっていることの理由のひとつかもしれない。

司馬さんは「さらには倭である体質から抜け出そうとして、ついには自分は倭でしかないと絶望した人もいる。」と書かれている。私もそうかもしれない。大学も外資(アメリカのクリスチャンによって創設された大学でした)、IBM、サンで、仕事も米国本社との仕事をしてきた。日本人相手の仕事より米国本社との仕事の方が楽しかった。

でも、自分が結局日本人であり、小思慮であることを自覚してしまった。ただ、私には絶望という言葉がないので(単純馬鹿ということですね)、それならばそれなりに、と思っている。自分をご隠居、遊び人と定義して、お祭りのお神輿のあとから踊りながらついていこう、と思っている。

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