旅に思う 日本における組織人について
「働く日には一斉(いっせい)に働き、休む日は一斉に休み、祈る時は一斉に祈る」。これは最近の日本の組織の有りようを書いたものではない。民俗学、歴史学の異能の大家、宮本常一氏が、日本の古代国家、国の成り立ちについて書いた、1500年以上、あるいは2000年も前の、日本の社会と組織の特徴である。国と言っても、それはムラやその集合体に近い程度の大きさだったのだろう。
「和を以って貴しとし、夫れ事独り断むべからず。必ず衆とともに宜しく論(あげつら)ふべし。」と聖徳太子が十七条憲法に書かずとも、全会一致で物事を決める。全会一致で決めたことだから、それに背けば村八分にする。全てを話し合いで決めるが、その話し合いの中にも、言わずともみんなが了解しているものは、「空気を読む」。みんなが一斉に働くのだから、「気を配り」、その集団が第一となる。個人の都合は二の次となってしまう。
歴史的に、こういった集団の特徴は薄れたり無くなってしまうものだと思われるが、日本の組織では古代国家が成り立ってから、連綿としてこの特徴が引き継がれている。中世では、ムラや惣があり、100年間の間一揆が国を支配したこともあった。江戸時代には、藩のレベルで存在し、明治大正昭和の戦前までは、日本帝国軍の中に、戦後は労働組合の中に、いまは企業の中に、ずーっと生き残っているのだ。
近親者や親、ましてや妻子の死に際に、仕事のために間に合わなかった事を日本では美談にしがちだが、日本以外の国では、許されない過ちになるだろう。儒教が浸透した国では、(日本には儒教などまったく根付いていない!が)親の為には仕事があっても全てを投げ出して孝を尽くすのが、人の道である。それぞれの国が持つ、人としての規範は、全人類が共通に持っているものではなく、国によって正反対にもなりうることだ。
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しかし日本人すべてが、この組織人なのではない。組織から外れた人も古くからずっと存在してきた。たとえば、行商や製造技能を生業にするひとたちは、このムラに近づき、そこに少しの間暮らしても、邪魔にされるどころか、大切にされた。「士農工商」の工と商がこれにあたる。組織人とは、士と農であり、特に農は単に農民という意味ではなく、「百姓(ひゃくせい)」つまり普通の人々という意味である。百姓の意味は、時代の変化に伴って農民という意味になっていった。
なぜ、このような長ったらしいことを書くかというと、私自身今回旅に出たことによって、その旅先での心の自由さ、うれしさ、自分が旅をしていることの幸福を感じ、自分は組織人ではないのかもしれないな、と思ったからだ。むかしからこういった気持ちを持つ人も多く、「方外」のひとと呼ばれていた。「方外」とは、俗世の外に身を置くこと、という意味だ。私も実は、「方外」のひとになりたいのかもしれない。