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旅を振り返って 4/29 - 5/3

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4泊5日の自由気ままな旅は、贅沢なものだ。普段、こんなに長く休暇を取ることもできないし、何かと緊急の用事が入ってしまうものだ。まわりに休暇宣言をしていたので、携帯もかかってこなかった。そういった意味で、仕事仲間には、お礼をいわなければならない。

今回は、上諏訪、松本、長野、高岡、京都を巡った。JRの路線だと、中央本線、篠ノ井線、信越本線、北陸本線、湖西線、最後に東海道新幹線。最後の京都では、京阪電車に乗ったが、あとはJR東日本、JR西日本、JR東海に乗った。JR東日本のWebページに改善を要求したことがあったが、使い慣れていないためか、JR西日本、JR東海のWebページはもっと使いづらかった。

JR各社で特徴的だったのは、若い車掌さんが元気に仕事をしていたことだ。在来線の電車でも、サービスはそれほど悪くなく、厭な思いもしなかったのが、うれしかった。

車窓からの眺めは、すばらしい、に尽きる。「美しい国」といった元首相もいたが、本当に我が国には美しい自然がまだまだ残っていた。萌黄色の山々を堪能した。山桜がその萌黄色の木々と相まって、眼に焼きついた。車窓から見える家々の庭にはツツジや春の花が咲いていて、日本人は花が好きなんだな、と実感した。

ただし、以前林道を通って名もない山に分け入った時、木を全て切られた裸山をみたこともあるし、上高地の上流、観光客が入ってこない場所では、重機がむやみに川を掘り返し、土手を作っていた。国立公園をして、これだけ土建・建設業者が入り込んでおり、人の目に留まらない日本各地の多くの場所で、勝手に土を掘り返していることも、忘れてはならないと思う。

地方の町は、それぞれが歴史に根付き、生活者が当たり前だが普通に生活している。ただし、ここでも、大手のスーパーマーケットや大型店ができて、地元の文化を圧迫しているように見える。高岡は初めて行った。高岡城址の側の街並みは古い、土蔵の並ぶ、地域文化あふれる土地だが、同時にそちら側の駅前の商店街は、半分以上がシャッターを下ろしていた。駅の反対側には大手スーパーがあるので、みんなそちらに行ってしまったのだろうか。

上諏訪、松本、長野、高岡の各町には、しかし、大きな工場などがあり、観光や農業・水産業だけでなく、産業誘致が成功している。そういった収入源があって、東京の文化を取り込むことによって、現在の地方の中心都市は成り立っているように見えた。東京一極集中の弊害の、もうひとつの現場かもしれない。

車窓から見えたのは、萌黄色の山々と、あとは田んぼだった。松本、長野あたりでは、田植えの準備で、まだ、水を引いていなかった。新潟あたりでは、水を引き始めていて、富山、石川、福井、滋賀では、田植えが終わっていた。気温の違いによるものだろう。そして、日本はやはりお米なのだな、と、改めて気が付いた。日本人は、米を食っていれば生きていかれるよな、と思い、今の飽食、かつ、食糧難の時代に、本流はこれでいいのでは、とも思った。

今回の旅では、一冊も本を持っていかなかった。もちろん、旅行ガイドも。何事もそうだと思うが、実際のものをみないで、本やネットだけで知った気になったり、それが正しいと思うのは、間違いだ。実際にその場にいって、見て、聞いて、触って、味わって、初めて知識となるものが多いのだと気付いた。ネットワークを推進している私が、そんなことを言っていいのか。でも、仮想のものと現実のものをはっきりと分けなければならない、とも思う。そのための、旅でもある。

さぁーて、今度はどこに行こう。

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