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嵐山光三郎で「芭蕉」三昧

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クリスマスのネタではないが、我が家ではクリスマスを祝わないので、お許しを願う。私の寝床のまわりは、本が山積みになっており、この前、雪崩れたら嵐山光三郎の「芭蕉紀行(新潮文庫:平成16年)」が出てきた。12月22日からの3連休は、この本をじっくりと読み直した。

この秀逸な紀行本は、嵐山光三郎が芭蕉(芭蕉庵桃青:宗房)が生まれてから死ぬまで移動した道を自分でも歩き、移動しながら、芭蕉の句の奥にある、芭蕉本人に一対一で対面する、超一流の文学である。部屋にこもって、古文書から重箱の隅をほじくっている国文学者とは、別次元の興奮がある。

「古池やかわず飛び込む水の音」 
「夏草や兵どもが夢の跡」
「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」
「山路来て何やらゆかしすみれ草」

など、日本人が知っている有名な俳句のほとんどが芭蕉の句である。他の俳人の句だと、

「春の海ひねもすのたりのたりかな(蕪村)」
「柿食えば鐘がなるなり法隆寺(子規)」

ぐらいだろうか。

この紀行文学は、芭蕉の生まれた伊賀上野から始まり、深川を徘徊し、「野ざらし紀行」を追い、名古屋の「冬の日」の歌仙を現地で思い、鹿島に月を見に行く「かしま紀行」のために鹿島神社に詣で、「笈の小文」の旅を追って、芭蕉と杜国との熱愛を見つめた。杜国は名古屋のまれなる美男子であり、才能と財産があった。つまりは衆道だったのだ。

その後、芭蕉は信州更科姨捨の月を眺め、さらに奥の細道に進んでいく。この「さらしな紀行」「奥の細道」では、芭蕉は西行を追っている。そして正岡子規はその西行と芭蕉の後を歩いて行ったのだった。子規は「さらしな紀行」を追って、同じ道を旅し「かけはしの記」を書く。

西行の後ろを芭蕉が追い、その後ろに子規が歩く。子規を斜め前方に眺めながら、嵐山光三郎も歩いていく。嵐山光三郎のご両親も俳諧のひとであり、俳人としての気分がある。その後ろを何万人もの嵐山ファンの群れがぞろぞろと従って行く。その中のひとりが私だ。

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嵐山光三郎は、実際に芭蕉の移動した後を追って旅をしている。特に「さらしな紀行」の筆が飛ぶように楽しんでいるのは、さらしなの景色が嵐山光三郎自身の詩想と共鳴してしまったからだろう。

姨捨駅のプラットホームからはすぐ右下に棚田が広がり、千曲川が青い月光を浴びてくねり流れていく。千曲川の奥に善光寺平がかすみ、その奥に雪の飯綱山と妙高が見えた。千曲川沿いの集落には夕暮れの電灯がにじんでいて、しばし声もなくたたずんでしまった。(嵐山光三郎著「芭蕉紀行」のうち「更科紀行」から)

芭蕉の句の説明よりも、自分の感動を素直に書いている。だからこの文章は、芭蕉の研究書ではなく、嵐山光三郎の紀行文なのだ。

この後、この紀行の後半半分を使って、「奥の細道」を嵐山光三郎も歩く紀行文を書いている。芭蕉は、160日かけてこの道筋を歩き、5年間かけて推敲している。芭蕉の渾身の作であり、だれも太刀打ちできるものではない。

『細道』は現実と虚構の皮膜をかいくぐって歩く旅である。

『細道』の句文融合は、和文、漢文を配しつつ練りに練った破格の構成であり、芭蕉以前にはなく、芭蕉以降、真似しようとしても出来た人はいない。
(嵐山光三郎著「芭蕉紀行」のうち、「奥の細道(その1)」より)

芭蕉は、古今東西の文学、詩歌、歴史を縦横無尽、自由自在に操りながら、直感に訴える句も、歴史を知らなければなんのことかわからない句まで、この奥の細道に紡ぎ込んでいる。

「あらとうと若葉青葉の日の光」

など、東武鉄道のコピーにしたら永遠に使えそうな句もあれば、

「笈(おい)も太刀(たち)も五月にかざれかみ幟」

は、背景がわからないと普通に端午の節句で終わってしまう。杜甫の詩を知らなければ伝わらない句や、和歌の伝統や作法を知らなければ、なぜその句が新鮮なのか分からなかったりする。

「不易流行」こそが芭蕉の真髄なのであって、不易であることが何なのかが分からなければ、芭蕉と対面することすらできないのだ。私も、偶然30年以上にもわたり、徐々にではあるが、古今東西の詩歌、文学、歴史は学んで来たが、まだまだ、芭蕉の後ろ姿を遠く眺めるだけである。

 

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追記:訂正します。「あらとうと」の句ですが、

誤:「あらとうと若葉青葉の日の光」

正:「あらとうと青葉若葉の日の光」

です。言い訳をしますと、日本語の場合、「青い大きな壷」と「大きな青い壷」では、前者が「大きい」を強く形容し、後者は「青い」を強く表します。私の日光のイメージは、杉並木で、青々とした杉の葉ですが、芭蕉が日光を訪れたのが旧暦の4月1日近辺ですので、新暦では5月上旬であり、若葉が目立つ時期。この句は想像以上に、写実なのだと気づきました。転んでも、タダでは起きません。m(_ _)m

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