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格差社会の現実の中を私は突っ走った

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大げさなタイトルですみません。昨日、ロサンゼルスに超短期出張(2泊4日!)したことを書きました。2日目の晩、お客様たちとロサンゼルスのリトル東京にある「Sushi GO 55」という、松井秀喜選手がドジャーズと対戦するためにLAにくると立ち寄る寿司屋(だから55だとか)で会食をし、その後、私はロサンゼルスのダウンタウンをレンタカーで、走ったのでした。

レンタカーはニューオータニホテルのバレットパーキングに停めたので、E 1st. St(ファーストストリート)からBroadway(ブロードウェイ)に回り、ずーっと南下しました。大体、113th St.(第113ストリート)まで。

リトル東京のその寿司屋の近辺も、すでに、スラム化・廃墟化が進みつつあり、特に夜は危険そうな雰囲気がありました。1st. St.から何十ブロックかの間は、昔ながらのロサンゼルスのダウンタウンの雰囲気そのもので、古い建物が目立つ程度でしたが、南下するにつれ、周りが暗くなってきて、明かりもまばらになってきました。

バス停で待つ人々は、明かりのせいなのか、とても暗い感じです。何軒もの店が閉じていて、入り口には乱暴に板切れが打ち付けられていて、一部、廃墟化しています。なんともぼろいモーテル。薄暗い明かりがついた、2階建てのアパートのような住まい。インターステート110に至るまで、20分か30分ぐらいの時間。もしかしたら、もうちょっと短かったのかも知れません。

交差点で止まったとき、目つきのおかしい少年がうろうろと歩いているのを見て、思わずドアのロックを確認しました。アメリカは、相対的貧困率では世界第一位、日本が第二位ですが、このロサンゼルスのダウンタウンの荒れ方はすさまじいものがありました。

シリコンバレーでは、イースト・パロアルトという町が、アメリカでも指折りの危険地帯と言われています。サンのキャンパスがメンロ・パークといって、101というフリーウェイからだと、イースト・パロアルトの向こう側にあるので、イースト・パロアルトを横切ることになり、たまに迷子になってイースト・パロアルトに入り込んだことがありました。危険すぎるので、警察のオフィスがその地域にないぐらいです。

そのイースト・パロアルトよりロサンゼルスのダウンタウンの南の方が、怖い感じがしました。まあ、夜だったこともあるでしょう。いずれにせよ、「格差社会」先進国のアメリカの本当の姿を、図らずも、また見てしまったな、と思いました。もう何十年も見続けてきた。この貧富の差は、何度見ても、どうしようもない、つらい景色です。

これに比べれば「日本の格差社会など、まだましだ。」という考えには、私は組しません。日本では、地方で特に都道府県庁のない、観光地でもなく、地元の産業もないところでは、裏に廻ると廃墟化が進んでいるところがあります。日本は富が東京へ一極集中化し、アメリカは郊外へ分散化しているだけで、実情は変わらないのだと思います。

だからといって、私が何かできるのかというと、何もないのが現状です。現実は現実として見つめるだけ、なのでしょうか。

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