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「企業の透過性」を昔の日本に学ぶ

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ある本屋に入ってなにげなく本棚を見て廻ったら、「日本奥地紀行」(イザベラ・バード著、高梨健吉訳、東洋文庫、平凡社)と「イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む」(宮本常一著、平凡社)が並んで置いてあった。この並べ方は、たいへんにマニアックである。

イザベラ・バードは1831年にイギリスで生まれた、女性旅行家・紀行文作家である。イザベラ・バードは明治11年(1878年)にサンフランシスコ経由で来日し、北関東から新潟、東北、北海道をわずかな共を連れて旅した。この旅をまとめた分が「日本奥地紀行」である。イザベラ・バードは関西方面にも旅をしているが、「日本奥地紀行」の翻訳本には関西地方の紀行は入っていない。

宮本常一は、民俗学研究の巨人である。宮本常一はフィールドワークをベースとした、徹底した研究方法で、庶民の生活と歴史を記録に残した。民俗学の資料としても第一級の「日本奥地紀行」を、宮本が購読会で、彼の持つ多くの付加情報とともに解説したのが「イザベラ・バードの『日本奥地紀行」を読む」だ。

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さて、当時の日本人(庶民や人夫など)が「やせ凹んだ胸」で「やせた手足」で、「皮膚はとても黄色で、べったりと怪獣の入れ墨をしている」といった、明治11年ごろの様子だけではなく、偉大な女性旅行家と民俗学の巨人の組み合わせが、複雑で矮小化した現代の問題に、ある種類の示唆を与えてくれている部分がある。長いが、ここに引用したい。これは、宮本の文章である。

そしてもう一つ彼女がいたる所で書いていることは、家の前を開けひろげていることなのです。これはたしかに驚きだったと思うのです。これについて私の感じることを話してみますと、日本の”店”というのは”見せる”ことだったのです。それは品物を見せるだけでなく、仕事を、作っている所を見せた。見ると安心して買えたし、声もかけられたわけです。それが家の前を開け放つことにつながって来ているのです。

- 「イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む」(宮本常一著より)

たしかに、今でも場所によっては見られますが、昔ながらの豆腐屋は店で豆腐を作っています。少なくなりましたが下駄屋さんも、店先で下駄を作っていたところが多かった。いまでもオープン・キッチンのようなレストランやカウンターのある食べ物屋(寿司屋やラーメン屋)は見えるところで作っていますね。

「仕事を、作っている所を見せ」ることにより、安心して買うことができる。だとするなら、作っているところを全て見れるようになっていれば、賞味期限のごまかしもしづらくなるでしょう。食べ物を大量に作るので、工場で作っている場合、全工程を見学できるようにする。ビール工場などは見学ツアーが出来るようになっていて、人が働いているところを見ることができる。

単純な発想だけれど、作る側も買う側も見られる・見るといった行為から芽生える信頼感というのはあっても良い気がする。まあ、全ての工場を今すぐ見学可能に作り変えるのは難しいが、方向性として考えても良いのではないか。

いっぽう、IT業界でも、見られる・見るといった状況を作ることが出来る。オープンソースがそれだ。特に企業がいままでオープン・ソースでなかった製品をオープンソース化する場合、単に、オープンソースの公開性により、多くの人の意見、貢献を取りれて製品化が出来るというだけでなく、その製品の中身が分かるわけです。まあ、作ったところを見せる、透過性を確保することにもなります。

他社の例は分かりませんが、サンの場合は以下のような製品につきオープンソース化をしています。(全てを網羅はしていません)。

Sun_opensource01_2(←クリックすると大きくなります)






まあ、ちょっと単純すぎるとお叱りを受けるかも知れませんが、企業の透過性・透明性を追求していく上で、見えるところで作る、それを買う側が見る、といった仕組みがあれば、それは安心感を生むひとつの方法になり得るのではないか、と思います。もちろん、企業内の機密情報は、逆にしっかりと管理されなければなりませんが・・・。

 
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