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危険が迫ったら、四方に散れ

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選挙の時期になると思い出すことがあります。これは特定の政党(日本共産党さんですが)を揶揄・中傷するものではなく、もちろん、選挙妨害するものでもありません。ただ、忘れたくないので、ロングテールの端っこの私のブログに残しておきたいだけなのです。ご理解下さい。

1991年春、私の前職であるIBM時代に、IBMの主催する大きなコンファレンスを実施し、私が担当者になりました。腕のよい担当者である私は(笑)、世界各国から来日する講演者たちが、週末に日本に留まっていなければならないようにスケジュールを組みました。

何回も来日している講演者が多くて京都にはみんな行っているので、その週末は一泊二日で奈良に出かけました。イギリスからはジョン・ページじいさん、アイルランドからは、マイケル・ストーレーとポール・クランディロンのふたり。アメリカからは私の大好きなジーナ(女性)を含む4名、日本からは3名と、計10名の大所帯で移動です。

奈良についたら、選挙運動まっさかりで、選挙カーを止めて、握手攻めをしている立候補者がいました。立候補者が我々を見つけ、こちらに握手をしようと手を伸ばして歩いてきます。

ジョンが、

「彼は、何なんだい?」

と聞くので、私は、

「He is ・・・ ahh ・・・・・・。コミュニスト・パーティ(共産党だよ)」

と言ったとたん、ジョンとアイルランド人のふたりが、『みごとに』別々の3方向にすごいスピードで逃げてしまいました。アメリカ人たちと日本人は、唖然として見ています。

立候補者は訳がわからないようすで、すぐにその場を去ってしまい、ジョンたちが戻ってきました。私が「どうしたの」と聞く前に、マイケルがすぐに

「どうしてコミュニストが選挙に出ているんだい?」

と聞くのです。

「えっ、どういうこと?」と私は聞き直す始末。

■□■□■□

いま思えば、1991年というとベルリンの壁が崩壊した後、ソ連邦が共産主義・社会主義をやめようとして、ロシア国内やヨーロッパが騒然としていた時代でした。また、もともと、ヨーロッパにおける共産主義は『階級闘争』そのものだったので、共産党が議会政党のひとつとして選挙に出てくる、といった事は、まれ、ないしは、在り得ない事だったからでしょう。

もうひとつ、面白かったのは、3人がみごとに別々の方向に逃げた事です。危険が迫った場合 (この場合は日本共産党の方に握手されてしまう ??)、みんなで一方方向に逃げるのではなく、分散する。イギリス人とアイルランド人の3人はおそらくみんな兵役経験者なので、逃げ方を習っていたのかもしれません。

みんなで同じ方向に逃げた場合、銃や手榴弾で一斉にやられてしまいます(今回の武器は握手です。しつこい?)。3方に分かれれば、ひとりはやられるかもしれませんが、二人は生き延びることができます。その二人が体制を取り直して、敵を攻撃することもできる。

アメリカ人たちが逃げなかったのは、状況判断ができなかったのか、もう共産党には勝っていると思っていたのか、女性のジーナがいたので、団結して防御しようとしたのか、いまとなってはわかりません。いずれにせよ、国が変わると、考え方や行動がこんなに違うものなのだなぁと、面白く感じました。

教訓:危険が迫ったら、4方に分散して逃げろ

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