傷だらけの人生
鶴田浩二である。古いねぇ、どうも。鶴田浩二、高倉健、藤純子。1960年代、東映のやくざ映画に欠かせない俳優だ。いやいや、今回は鶴田浩二とは、全然関係ない話なんですけどね。
私はどうやら「ケロイド質」らしい。「ケロイド質」とは、怪我や火傷を負った後が、繊維質で盛り上がる病変が出やすい体質のことだ。要するに、怪我をした後が残りやすいのだ。運良く顔には出ていないが、体中にある。この怪我をした後が残るのは、あまり良い感じではないが、反面、この傷跡を見るとそこから当時の事が思い出される。
左足の甲にある、長さ3cm、幅5mmほどの傷跡は、幼稚園の時に父親に連れられて新潟県直江津のそばの鯨波に行ったときに、岩で切った傷だ。かなり深く切ったので、血がなかなか止まらなかった覚えがある。おやじの親友の島田さん、橋本さんといっしょだったナ。
右手の甲には、2箇所傷が残っている。この2つは両方とも鋭利な切り傷なので、幅はたいへん細い。人差し指の付け根から縦に2cmほどの切り傷は、入社2年目に友人と車でスキーに行ったときに、スキーのエッジで切ったものだ。当時はホンダのシティーターボに乗っていて、キャリアにスキーを積んでいた。スキー場での移動だったので、カバーをせず、そのまま剥き身で板を乗せており、はずそうとして切ってしまった。
もうひとつは、右手の甲を横に4cmほどの傷があり、これは、1990年ごろ台風が通り過ぎた後に、上高地から入って槍沢を登っているときに、花崗岩の岩が台風で割れていてそれで切った。9月ごろで、朝は木の枝に水蒸気が凍って、まるで木の芽がクリスタルでできているような形になっていた。3人で行ったが、残りのふたりとも現在、社長だ。有名なISVの社長と日本でのユビキタスの第一人者である。台風のために、野生のサルの群れが登山道を挟む形で降りてきていて、ボスざると目があってしまった(けっこう、こわかった)。
〇〇〇〇〇
体の傷も残りやすいけれど、心の傷も残りやすいのだよ、ベイビー。