暑中お見舞い - 心頭滅却すれば火も亦た涼し
わたしのブログを読んでいただいている方々にのみ、暑中お見舞い申し上げます(笑)。今年は冷夏になるのではとの憶測も有らばこそ、猛烈に暑い日々が続いております。ご健康に留意して、お健やかにお過ごしください。
普段のITmediaのブログとは全然違う内容ですので、漢詩や言葉のトリビアなどにご興味のある方にお読みいただきたいと思います。
暑い時期に言われる「心頭滅却すれば火も亦た涼し」は、ことわざでも、禅問答でもなく、次の漢詩から来ているようです。
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夏日題悟空上人院
杜旬鶴(唐後期の詩人)
三伏閉門披一衲
兼無松竹陰房廊
安禅不必須山水
滅却心頭火亦涼
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夏日、悟空上人の院にて題す
三伏門を閉ざして一衲を披く
兼ねて松竹の房廊を陰らす無し
安禅は必ずしも山水を須いず
心頭を滅却すれば火も亦た涼し
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(現代語訳:筆者による)
夏の日、悟空上人のお寺にて
三伏というこの暑い時期に、門を閉じて風を通さず、僧衣を着ていらっしゃる
さらには、日が真上にあるので、松の枝も、竹の葉も廊下に陰を作っていない
安らかな禅には、必ずしも山水が必要ではない
心と頭を無くし去ってしまえば、火ですら涼しいものだ
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この「心頭滅却すれば」は、「心の中にある暑いという気持ちを消し去ってしまえば」と訳されることが多いので、そちらでもよいと思います。この詩人は禅の僧侶ではなく、ましてや、悟りを得た人ではないので、この言葉が禅の極意であるともいえません。しかし、嫌だ嫌だとばかり思っていたら、物事が前に進むわけではなく、消極的否定的な気持ちを払拭するすることが必要ということを、この言葉は表しています。その意味では、この詩人自身は日本で特に有名ではなくとも、彼の言葉はたいへん多くの日本人を勇気づけたと思います。
参考:「漢詩歳時記」渡部英喜著 新潮選書 1992年