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天安門事件と私

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第二次天安門事件が起こったのが、1989年6月4日。あれから昨日でもう17年が経ってしまった。といっても、私自身が渦中にあったわけでもなく、政治的な意見がある訳でもない。しかし、この歴史的事件の末端の末端にちょっとだけ係わったのだ。

そのころ、私はIBMでアジア・パシフィック地域のDB2とDB2関連製品のプロダクト・マネージャをしていた。天安門事件があって数週間後、中国IBMのセールスのディレクターが私と私のマネージャであったK氏を尋ねてきた。中国IBMは事件直後、すぐに中国本土にいるIBM社員を海外に脱出させており、このディレクターも逃げてきたのだった。

話の内容は、私の担当であったQMF(Quary Management Facility:データベースにSQLでアクセスするツールソフトウェア)のSimplified Chinese(簡体字中国語)サポートにつき、現バージョンはあきらめるが、次バージョンは必ずサポートして欲しい。そのころには中国に戻って業務を再開しているはずだ。というのであった。1989年ごろは、まだWindows3.1も出ておらず(Windows3.1は1993年)、QMFは米国製のソフトウェアとしてNLS(National Language Support:各国語サポート)をしている数少ない製品で、特にIBMではNLSの最先端であった。

私はちょっとした感動を覚えた。まだ、たまにテレビで事件の報道を続けており、どうなるんだろうとぼんやりとした不安を感じていたのだが、このディレクターは巻き返してビジネスを再開することを考えていた。何百人というひとが殺されたばかりなのに、彼は中国の将来を信じているのだ。そして、彼の信念は歴史が証明した。

私も、Simplified Chineseはあきらめない、サポートの継続を求める旨、関係開発部門に依頼した。

もう、17年も前のことで彼の名前は忘れてしまった(家捜しすれば、名刺は出てくるかもしれない)。顔は薄ぼんやり覚えている気がするが、もしかしたら違う人かもしれない。でも、このことは、忘れられない。

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