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30年に渡って関わってきた米国のITの出来事、人物、技術について語る。

米国航空業界をIT技術で制覇しようとした男(達)その1

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これは不思議な男Aの話しだが、達とあるように筆者も含まれる。

メディアはシリコンバレーの成功物語しか語らない。でも成功した数人の人々の後ろには失敗した人々の死体がごろごろしている。筆者もご多分に漏れず、ごろごろ転がっている方である。2001年の晩春のある日シンガポールから1通の電子メールでCTOを解雇された(このシンガポールの会社のCEOGという男についてもそのうち書く)。会社倒産である。このくらいのことで、驚かなくなってはいたが、あまり良い気持ちはしない。

次の日、サンホゼのインキュベーター(TENという名前)でアドバイザーをやっていた時、技術やビジネスのアドバイスを与えていたAから連絡があった。「面白いネタがあるから、ちょっと来い」というものだ。こうやって誘われて、良いこともあればえらい目に合うこともある。だからどんな人脈を持っているかが、シリコンバレーでは大きな意味を持つ。なにせ、前日にメールで解雇されているのだから、何もやることはない。ということで、久しぶりにこのTENに行った。Aはアメリカ人で年の頃なら60は過ぎているだろう。カリフォルニアでは珍しく、正面を切ってタバコを吸う男である。隠れタバコをする人はたくさんいるが彼ほど喫煙を隠さない人も珍しい。なにせ、回りが30台で占められているなかのこの年格好だから目立つ。しかし、そんなことは全く意に解さない不思議な雰囲気のおじさんだった。

話をもとに戻す、シリコンバレーにあるNASAの研究所は毎年たくさんの予算を国から獲得して研究をしている。しかし、その研究の成果が商業化されるということは稀である。米国でも研究費の確保は困難で、成果を見せることが必須である。で研究成果をどこかの企業に売りつけて、議会にちゃんと研究をやって成果が出ているというところを見せる必要があった。ビジネスの方向や技術で苦しんでいるTENに属すベンチャー企業には、この技術を商業化できれば願ったり叶ったりだ。その午後NASAの人々がやって来て、プリゼンを行った。ちなみに、このインキュベーションの組織はNASAから多額の資金投資を受けていた。

数個のプリゼンの中で空港内の情報管理システムというのがあった。これはITのブログなんで少し説明すると、アトランタ空港の某所に置いたプロトタイプのOS-2の箱に空港の情報を処理するソフトを搭載して空港内の様々な異なった組織間の情報共有をしようというものだ。空港と一口に言っても、1)空港そのものを運営する組織、つまりアトランタ市、2)航空会社(この場合はデルタ航空)、3)FAA(米国航空局)からなる。信じられないことだが、この3者は情報を共有していない。飛行機が着陸態勢に入ってある地点を越えると、航空会社は飛行機の位置を正確に把握することが出来なくなる。この時点では、FAAしか正確に飛行機がどこにいるか知らない。もっと正確に言えば、航空会社は飛行機がゲートに着くまで何時飛行機が到着するか知ることができない。解決方法は簡単でFAAと航空会社が情報を共有できれば良いのだ。ところがこのシステムが開発までは全く共有されていなかった。情報が共有されれば、飛行機がFAAのコントロール化に入った段階で、情報がこのOS-2の箱に伝達され、ヒューリスティックを使い飛行機の着陸時期や誘導路での時間を概算してかなり正確にゲートへの到着時間を推定できる。これが可能であれば、航空会社のクリーンニングのクルーも効率的に飛行機から飛行機へと移動してクリーンニングを行える。空港はゲートの使用頻度やその他の情報を的確に掴めれば、空港の拡張や航空会社とのリース契約等で交渉が容易になる。良いことづくめだ。

多分も現在も稼動中だと思うが、15年以上も前にNASAの研究者が作ったプロトタイプシステムで、バックアップシステムもなく、多分もうソースコードもないだろう。まして、OS-2の箱の予備なんかどこかにあるんだろうか。この箱は当初はFAAの管制塔内にあったが、以後はデルタの航空機管理タワーに移動させられている。つまり、どうにもならないプロトタイプのまま10数年も稼動しているわけだ。この運転資金はFAAから出ている。

もう一度話をもとに戻す。これは行けるというので、同じミーティングにいたもう一人(営業とマーケティング、仮にEとしておく)とACEO)と筆者(CTO)はこの技術を商業化すべく1週間以内に会社を設定してNASAとの会談に臨んだ。Aはかなりの年配であったし、本人が以前エネルギーの会社を仲間とやり大成功をしたと言っていたので、まあ順当なポスト配分だった。

その当時、NASAはキャンパスの3分の1程をセキュリティのチェックの弱いセクションにして、そこに民間の研究機関や大学やNASAと関係の深い企業を誘致する計画であった。なにぶん、資金提供を受けているのだから、NASATENに属する会社をこのセクションで活動することを許した。その第一号として、我々の会社がそのセクションの1つのビルに入った。最初だったので、賃料やその他はまだ設定されておらず電話もコピーもネットワークのアクセスも無料だった。しかも、他のテナントはおらず、かなり長い間我々だけだった。

セキュリティが弱いセクションとは言え、普通の場所ではないので(以前は軍隊が居た)、このセクションに入るには車を降りて入り口のオフィースで身分証を提示しなくてはならなかった。正式にこのビルの住人となった際にNASA発行の身分証明書が発行された。この身分証明書があれば、入り口の守衛に提示するだけで中に入ることができた。実は、この身分証明書それだけの効用ではなかった。

30数年の間に数州で暮らしたが、運転中大体1-2度はなんらかの理由で警官に止めらることがあった。大体止められると反則切符を切られる。土曜に交通学校に行ってちゃらにするのだが、ある日運転していたら、警官に止められた。ああまたかと思って免許書を用意して待っていたら、警官が話し掛けてきた。最初は違反について説明し始めたのだが、途中で雰囲気が変わり、今後注意するようにと行って無罪放免となった。なんとも変だなあと思ったら、警官は助手席に置いておいたNASAの身分証明書を見たからだったと気がついた。米国ではパブリック・セクターの警官、消防士、救急士同士の連帯感は深い。NASAもパブリック・セクターの一部として共感を持ったのだろう。思わず身分証明書に感謝した。

どうも今回は脱線が多い。また、話を元に戻す。NASAの話は技術的にも面白い話だったし、しかも最先端の空港で航空会社や最新の飛行機やFAAなどとも絡んでくる。この時はそう思った。知らないということは、幸せなことだ。まず、一番の問題はNASAだった。NASAは正に役所で、動きは鈍いし何がどうなっているのか外から見ては全く分からない。更に研究者は既に終了した研究とか商業化には全く意に介さない。大体詳細が分からないから開発者と話したいのは人情だろう。しかし、研究者は我々から逃げ回り中々時間をくれない。仕方がないので、どれだけ自分で情報を探したか。ここで、焦れる筆者とEを宥めたのがAだ。

Aは良く言えば細かいことを気にせず、政治的駆け引きに強いリーダータイプ。悪く言えば、いい加減で必要なことはちゃらんぽらんという感じだった。Aは安いといわれるTENの家賃も踏み倒すし、ただでビジネスを行うことに関しては殆ど天才と言えるくらいだった。当初は3人うまく行っていた。しかし、如何せん我々はお互いを知らな過ぎた。筆者はAのビジネスのアドバイスを行った関係で少しは知っているが、Eは全く知らなかった。AEも全くの初対面だった。

VC(ベンチャーキャピタリスト)が投資を決定する際チームを見ると良く言われるが、その物差しを使うなら我々のチームは最悪であった。ベンチャーを立ち上げるのは戦場に一緒に行って戦うようなものである。お互いを信頼して戦う訳であるから、味方から撃たれてはたまらない。我々のチームは、まず2対1で撃ちあいになり、Eを倒した後今度は筆者とAが仲違いをした。

それはまた後の話として、当初このベンチャーは話としては面白い。技術も既に使用されている空港や空港会社を紹介され、TENの紹介で弁護士事務所や投資家も紹介されるというおいしい話だった。もとユナイテッド航空の747のパイロットもアドバイザーに加えて、MITの著名な先生とも面識ができて、友人や知人に説明しても皆うらやましがった。しかし、ここからが転落の道だった。続く。。。。。

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