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ウエブ・ブラウザー買い付けのドタバタ劇 (続)

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以前のブログでNetScapeの交渉の裏側を書いたが、これに遡る話も書いて見よう。 確かに15年も経っており全ては時効であるとは思うが、日本側の情報は特定できないように書いてある。

前のブログでSpyglassと交渉をした後にNetScapeと交渉をし、その後Spyglassに大いに恨まれたと書いた。その理由も含めて書いて見よう。この話では、有名人は出てこないがそれなりに興味深いと思う。

前にも書いたように、全然楽しくなかったDallas勤務を終え懸案のプロジェクトも完了して、San Joseのオフィースで寛いでいたら日本の親会社の常務が突然現れて、「岸本、Spyglassへ○○と一緒に行って最低限度の量のブラウザーのライセンスを買ってこい。 3月中にまとめろ。」と仰った。その時いた部門の親会社の部門は研究部門(研究所ではない)で、○○さんは事業部長待遇の方で顔見知りであった。この「事業部長待遇」というのが非常に大きな意味を持つが、これは後述する。

簡単にSpyglassとウエブ・ブラウザーの関係を述べる。ウエブ・ブラウザーはIllinois大学(イリノイ州のUrbana-Champaign市)のNational Center for Supercomputing Applications (NCSA)部門で開発された。Marc Andreesenはその開発メンバーだった。大学の部門がライセンスを売ったりするビジネスをするのは適当でないということで、Illinois大学の卒業生が中心となって創ったSpyglass社(2000年に買収されて今はない)にビジネスを委託していた。

ということで、早速Spyglassに連絡を取ったところ、日本の大手がライセンスを買い付けるいうことで、先方は非常に乗り気となった。交渉のやり方は、まず最初にSpyglass社が自前の契約書に金額、最低のライセンスの数やその他諸々の条件を書き込み筆者に送りつける。それを受けた筆者は簡単な解説を書いて、○○さんにメールで送る。○○さんはそれを見て必要ならば筆者に質問する。その後、○○さんは本社の法務にそれを提出する。ここで、面白いのは、法務の担当者は「こんな条件が飲めるか」と非常に怒るようである。交渉なんだから、自分の都合の良い条件を出すのは当たり前なので、なぜ怒るのか今でも不思議である。「怒らずにやり返せ」という英語の言い回しがあるが、正にその通りだと思う。その後もこの会社で色々と契約を交わしたが、不思議なことに常に相手側の契約書を使う。そんなに、怒るのなら自分のを使えば良いのにと思った。(後で分かったところでは、そんなに適当な契約書がないとのことだった。)ちなみに、こちらでは、自社版の契約書を使おうとするのが定石だ。そして、「うちの契約書は標準ですから」と必ず付け加える。最初はそうかと思っていたが、弁護士と色々とやり合ううちに契約書に標準はなく、契約書は幾らでも書き換えることが出来るということを学んだ。自社版はなんのかんの言っても自分に有利に書いてある。相手の契約書を解析して、書き換えを要求したりするのに、時間と金が掛かるので、自社版を使おうとする。

(以前あるスタートアップにいた時、互いの契約書を取り交わす必要があったが、こちらには金がないので契約書を作っていない。それで、相手の契約書をそのまま利用して、自分の版にしたことがある。こうすれば、自分の不利益にはならない。相手の会社からは呆れられてしまった。その契約書を作るのに多額の金を弁護士事務所に払っていたからである。しかし、契約書自体にはコピーライトは付けられないので、先方はそれ以上には突っ込んでこなかった。逆に先方から褒められてしまった。金のないスタートアップはゲリラ戦を展開しなければならない。)

常務の作戦は、筆者が本社法務と直接やりとりをすると法務が筆者のリクエストをちゃんと処理しないだろうと見越して、○○さん(さすがの鬼の法務も事業部長待遇者を無視できない)を真ん中に置いたのである。これは卓見であったと思う。法務が筆者を相手にしないだけでなく、その後のやり取りを見ているとまず筆者が完全に法務のやり方に切れたと思うからである。そして、筆者がSpyglassとやり取りをする。SpyglassBostonの法律事務所を雇っていた。かなり複雑な感じだが、今から思えばこの常務、実に良くお考えだったと思う。

本社法務の担当者は主査(係長)で普通の職場なら部門が違うとは言え、事業部長待遇の上官に逆らえないのだが、法務は特権があるのか、本社法務の主査は事業部長待遇と同等の様だった。○○さんは温厚な方だったので、実際に本社で行われた会話は筆者には漏らさなかったがかなりボロクソに言われたようだ。ただ、この主査の方は非常に優秀で、Spyglassの契約書をほとんどと言っていい位、一日で書き換えてしまった。しかも、完全な法律英語で。残念ながら、お名前しか知らず、一度もお会いしたことはない。Spyglassは中部標準時間帯にあり、San Joseは太平洋標準時間帯で2時間遅い。そして、San Joseと東京は17時間の時差があり、東京とイリノイ州それぞれの朝が明けると、前の日に送った契約書への変更に対するコメントや更なる変更が既に届いている。

ビジネス的にはライセンスの数は向こうが言う数の十分の一にしろと常務は仰る。電話でそのようにSplyglassに伝えると、「お宅のような大会社には最低この程度は買って貰わないと」と言われた。その旨、常務に言うと。「Spyglassは当て馬だ。今少しのライセンスがいるが、これは本命ではない。」と仰る。それをそのまま言う訳にもいかず、苦し紛れの理論を展開して東京の意向は絶対であると伝えたが、交渉決裂にならないように気を遣った。何回かの交渉の結果、先方は日本の大企業からのライセンス買い付けは必要と考えて折れた。最後の方でまとまらないので、筆者は「お互い会社を背景にしていることは忘れて、なんとか妥結しよう」と言った。今から考えるとなんとも青臭い発言。穴があったら入りたい。今思い出しても、穴を掘って隠れたと思う。あの純情な時にはもう戻ることはない。相手がなんと言ったか忘れたが、「会社を背景にしないビジネスがあるか。こいつは馬鹿じゃないか」と思っただろう。また、穴に入りたくなった。

いよいよ、向こうの本拠に乗り込んで契約書の調印となった。Illinois大学はイリノイ州の真ん中から南にあり、Chicagoから結構ある。筆者はSan JoseからChicagoに飛び、○○さんと落ち合い、更に小さなプロペラの飛行機でChampaignへと一緒に向かった。この時点ではビジネス的な合意はあったが、まだ法的な懸案事項があった。その夜は○○さんと交渉に関する打ち合わせをしたが、かなり法務からきつく言われているようで、簡単には妥協できないということであった。

他の会社は知らないが、本社法務にとって一番の任務は会社が変な訴訟に巻き込まれることを防ぐことで、億単位にもならないちっぽけな契約などそれに比べれば取るに足らないことであった。ちっぽけな契約で、危ない橋を渡るのであればそんな契約はない方が良いのである。この辺りも筆者が直接法務とやりやっていれば、必ず切れただろうと思う。

そして、調印の日になった。少しの話合いの結果、2-3の小さな問題点が残った。筆者から見ると他愛のない項目だったと記憶する。先方はこれ以上は話しをする気がないことをはっきりさせた。調印をやめて帰るか。そして、常務に怒鳴られるか。そのまま調印して、法務に罵られるかの選択である。会議室に○○さんと筆者だけにして貰って話をした。○○さんは悩んでいた。筆者は部屋の中を見渡してビデオカメラやマイクが隠されていそうなところを見たがそれらしきものはなかった。そして、まだうじうじしている○○さんに筆者は冷たく言った。「○○さん、今更署名なしでは、帰れませんよね。署名してしまえば法務はなんとも出来ませんよ。」この悪魔の囁きで、○○さんは署名した。後で、法務にこっぴどくやられたそうである。でも、○○さんは筆者には一言も非難がましいことは言わなかった。

我々は、この調印に関してプレスリリースを出すどころか、隠した。その後、NetScapeと調印した後は大々的にプレスリリースを出したり、プロモートした。その後Spyglassの担当者とあるコンファレンスで遭遇した。恨みの篭った非難を受けたが、「私は上官の命令に従っただけだ。」と言いたかったが、向こうにとって見ればそんなことは知ったことではなかったろう。あなたが、筆者の立場だったらどうしただろうか。

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