Netscape交渉騒動記
このブログを始めるにあたり、どのようなテーマにするか他のブロッガーの方々のポストも見て色々と考えた。同様なことを述べても面白くないので、差別化を考えて次の3つをランダムに組み合わせることにした。
1. 非常に面白い集まりであるが、全国区でないため取材されることが少ないものや筆者が直接関わっているものに関して。
2. 筆者が現在まで関わってきた有名・無名人で、変わっていると思われる人について。
3. 良く知られている技術に関して、あまり語られない側面の解説。
一回のブログにはそれぞれからの話題で、順番や回数はその時期に応じて適当に選択する。今回は最初として#2を取り上げる。
もう15年も前になるので(まあこの話はもう時効だろうから)、若い人にはなじみがないかもしれないが、現在のウエブ革命を考えればMarc Andressen(マーク・アンドリーセン)の名前はウエブ史には残る名前だ。彼が初めてメディアに登場したのは、1994年にJim Clark (ジム・クラーク)とMosaic Communicationsを設立した時である。この時筆者は国策会社のような名前の日本の三大コンピュータメーカのSan Joseの部門にいた。悪夢のようなDallas勤務からSan Joseに戻り、technical managerとして1つのプロジェクトを完成させ、Spyglass社にブラウザーのライセンスの買い付けを日本からの事業部長と行い、交渉を終えたばかりだった。(この交渉のこともいずれは書きたい。)ブラウザーの本命はMosaic Communicationsなので、次の任務は日本からの一行と合流してMosaic Communicationsとの共同開発を提案しに行くこととなった。(当然、後にSpyglassから大いに恨まれたが。 そして、そのSpyglassからライセンスを受けたMicrosoftがブラウザーの分野でリードをひっくり返して、トップの座を占めているのも皮肉なものだ。)
この一行は常務を始め総勢5名だったと記憶する。 Jim ClarkはStanford大学の教授であったが、SGI社(今はRackable社に買収されて、そのRackable社が社名をSGIに変更した)を創始してCEOの職にもついたが、辞めてMosaic Communicationsを立ち上げていた。ミーティングはMountain Views市のCastro通りのオフィースで行った。この時Marcは23歳程度で、こういった場に慣れないのか終始寡黙であった。ただ、彼は大きな人で背丈もあるが体重もあり大きな熊のような感じだった。それが、窮屈そうに座っているのは何か気の毒のようだった。彼が発言した記憶は全くない。Jim Clarkが「Marc、デモをして」と頼むと大きな体をのそっと上げて、キーボードを機関銃のように打ち込んだ。この様子からかなりのハッカーだと理解した。しかし、説明は一切せず、一言も発せず、説明は全てJim Clarkが行った。(デモは昔懐かしいMosaic Communicationsの最初のブラウザーだった。その後社名をNetscapeと変え、ブラウザーのマーケットシェアを70-80%確保したのは、まるで昨日のことの様だ。)
1日が終わり、夕食を共にすることになった。この場でもMarcは非常に場違いという感じで一言も発せずに終わった。そういう筆者も常務にこういうところはあまり落ち着かないので帰らしてくれと言って、怒鳴られてしまった。筆者も非常に場違いな感じがして何を食べたか覚えていない。その後、常務一行のホテルに帰り、バーで反省会となったが、真夜中になってもお開きにならず、ようやく1時ごろに地元の筆者は解放された。他の人々はまだバーに残っていた。
さて、次の日朝9時にMosaic Communicationsに行くと日本からの一行はまだ来ていない。15分ほど待ったが誰もこない。Jim Clark氏は「今日は全部このミーティングのために取ってあるので、君にMosaics Communicationsのビジネス・モデルについて話をしよう。」ということで、ホワイト・ボードの前に筆者が座りClark氏が講義をしてくれた。それは、インフラである電話会社のインフラの層から、その上の層とその層でのプレーヤーの動きや戦略などを事細かに説明し、だからこういった戦略で行くのだと断言した。まるで大学での授業のようであった。1時間にも亘る貴重な講義であったが、残念ながら15年経った今その講義の内容は全然覚えていない。
その後日本の一行が現れて2日目が始まった。今度は日本から副社長も到着して会議が始まった。驚くことに、2日目の会議は1日目に話をしたことを最初から全く同じ話を繰り返しことである。副社長がいるのだからという理由だろうが、Jim Clarkも日本からの一行も全く気にせず同じ話を繰り返した。だったら、1日目はなんだったのかと思ったが、その時の筆者にとってはなんとも理解し難いことであった。(これが日本の大会社というのは分かっていたが、違和感は現在もある。)
話の内容は日本側が日本語化を助けるので、協業できないかというものだったが、SGIの時代から日本語に限らず国際化のエンジニアを抱えているので必要なしと突っぱねられ、取り付くしまもなかった。ところで、その時までにメディアは、Spyglass社の後ろにいるイリノイ大学がMosaic Communications に対してライセンスを取得するように要求していると報じていた。Mosaic Communicationsは全くの白紙からC++で再構築(元のコードはC)するのでライセンスの必要はないという立場を取っていた。「なんでも、どんなことでも聞いてくれ。」というClark氏の要請に応じて筆者がこの問題を指摘した。それまで、にこやかに話をしていたClark氏の顔が強張り、機関銃のごとく反論した。朝の1対1の講義の時の穏やかな態度とは異なりかなり怖い感じだった。これには、質問した筆者もどこかに隠れようかと思ったほどだった。
しかし、1年ほど経って、Mosaic Communications (その頃にはNetscapeと名を変えていた)がSpyglassやイリノイ大学と和解してライセンスを購入したという記事を読んだ。やはりという感じを受けたのを良く覚えている。(ソフトウエアのライセンスに関しては、色々と経験した、これに関してはそのうち書いてみたい。)
その後、ご存知のようにNetscapeはAOLに売られて、MarkはAOLのCTOになったが、長続きをせず、LoudCloudという会社を立ち上げた。筆者の意見ではこれが最初のCloudを実装する元になった会社だと理解している。 LoudCloudはその後分割されて一部は2002年にEDS社に売却されて残った部分はOpswareとして社名を変えたが2007年にHPによって買収された。更に2008年にはEDSもHPによって買収され、結局LoudCloudは全てHPによって買収されたことになる。現在はデータセンターの自動化ではHPの評価は高い。これはLoudCloudの技術を確保したからだ。この事実はあまり話題になっていないが、現在のCloud computingの基礎を支えるほどの技術や運用の根本を設定したと思っている。
現在MarcはSNSの会社を立ち上げている他、あらたなベンチャー・キャピタルの会社も立ち上げている。今までの彼のキャリアを見るとMarcという人は既存の組織に入ってうまく行く人ではなく、常に新しいものを開発していく真の起業家だと思う。Netscapeは買収されたとはいえ、4200億円の値段が付き世界を変えた。その後のベンチャーはこれに比べるとあまり成功しているとは言えない。しかし、これは彼のアイディアが時流よりかなり先を行っているからだろう。Jim Clarkという良き師を得て彼の才能が開花したのだろう。Jim Clarkは彼の著書でNetscapeで新たなブラウザーを開発するようになったのは、消去法で最終的に残ったもので、Marcが開発できると言ったからだと書いている。意外に簡単な理由でITの歴史が変わるものだと思ったものだ。
最近の彼を見ると、23歳の時のあの寡黙な青年ではなく38歳の中年となってしまったが、良く喋るのをみて時間の経過を感じる。なお、Jim ClarkはWebMedなどを立ち上げたが今は悠々自適の生活のようだ。それに引き換え筆者はMarcのようにメディアを賑わすわけでもなく、Jimのように悠々自適というわけでもなく、コンサル業に励んいる。