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IT技術者教育に携わって25年が経ちました。その間、変わったことも、変わらなかったこともあります。ここでは、IT業界の現状や昔話やこれから起きそうなこと、エンジニアの仕事や生活について、なるべく「私」の視点で紹介していきます。

エイプリルフールに思う~馬鹿馬鹿しさのまっただ中の4月馬鹿に犬死にしないための方法序説~

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エイプリルフールに参加する人や企業が増えてきた。1980年代は月刊アスキーの「年刊AhSKI!」やBBCのニュースくらいしかなかったことを思うと隔世の感がある。ただ、この数年はちょっといきすぎのような気がする。1957年にBBCで放送された伝説のニュース「ティチーノのスパゲティ収穫」くらい荒唐無稽なものを目指したいものだ。

 

最近多いのは「単なる嘘」で、面白くもなんともないものだが、これは放っておけばいい。つまらない記事など普段から山ほどある。

残念なのは「エイプリルフール」で片付けてしまい、大事な問題が埋もれてしまうことである。普段から学ぶ姿勢を持っている人は、どんな記事からでも得るものがあるだろうが「エイプリルフール」というだけで十分に考えない人は多い。

たとえば、同僚で先輩の田中淳子氏のコラムは、「エイプリルフール」で片付けるのはもったいない問題提起が含まれている。もちろん、その問題提起は意図したものだろう。また、ブログのコメントでもきちんと受け止めている人は多いので、記事が全くの無駄というわけではない。それでも「真に受けて憤慨する→エイプリルフールだと知る→安心する」で止まっている人も多い。

エイプリルフールも過ぎたことだし、オルタナティブブログをさかのぼって勝手に論評してみたい。

 

企業の新しい試み。「ミドルのための新人研修」(2016年4月1日)

40代社員に新人研修を受けさせるという試みである。

    • 「今だったら、もっと真面目に受講し、血肉にできるような気がする」
    • 「新人が学んでいることの内、自分たちミドルが知らないことも多く、新人と話のレベルを合わせるためにも受講したい」

という参加希望者の声や、

    • 「今さら挨拶なんて、と思っていたけど、普段、ろくに挨拶もしていなかったことに気づいた」
    • 「客先に訪問したり、来客を迎えたりする際の廊下の歩き方なんてすっかり忘れていた」
    • 「スーツの正しい着方、習ってみてびっくりした。あれ以来、スーツの着こなしにも気を付けている」
    • 「コミュニケーションなんて簡単な内容が含まれていて正直、がっかりしていたのですが、講師から『あなたはまるで人の話を聞いていませんね』と手厳しくフィードバックを受けた。最後まで聴くことの大事さを学んだ」

という受講後の声は、全く違和感がない。

完全に同じカリキュラムは無駄かもしれないが「OJT担当者に新人研修のダイジェストを受講させる」「新入社員の直属上司に、新人研修の内容をレクチャーする」という提案は、検討する価値がある。エイプリルフールにすることで「なんだ、冗談か」で終わってしまうのは残念である。

 

新入社員研修にも保護者参観日。(2015年4月1日)

新入社員研修に保護者参観日が設けられるという記事で、前年の「親同伴の入社式」の続編に相当する。

20年前には存在しなかった職業はたくさんあるし、昔から存在したとしても身近ではない職業も多い。新入社員の両親は現役の社会人だろうが、専業主婦の女性は最近の職業は知らない可能性が高いし、自営業だと職種の変化にはうといかもしれない。会社員であっても、自社と関係ない職種を知る機会は少ないだろう。

今の親たちは、自分たちの子どもがどんな仕事をしてるのか想像できない可能性が高いのである。自分の子どもがどんな仕事を始めるのか知りたい親は多いはずだ。田中淳子氏も「父ちゃん・母ちゃんの働く姿。」では「子供たちに働くおやじのおやじの姿、堂々と見せてみたらいいのになあ」と書いている。親も、子どもが謎の職業について不安なのだから、働く姿くらい見たいだろう。

子どもを対象にした「職場見学」ではなく、親や配偶者を含めた「職場見学」という提案であれば、それほど非常識ではないはずだ。「保護者参観日」という言葉にしてしまうことで「ばかばかしい」と思われてしまうのは残念である。

 

親同伴の入社式が増えてくる?(2014年4月1日)

「親が入社式に同伴なんてけしからん」とお怒りのコメントがいくつかあったらしい。全く意味が分からない。20年以上育ててきた子どもが、やっと人様のお役に立てる日が来たのである。その姿を見たい気持ちは自然なことである。笑うなら「同伴」という部分だろう。

私の場合、学校の式典に親と一緒に出かけたのは小学校と中学校の入学式だけだと思う(中学は私学で「(会場は)重要文化財だから行く」と母は言った)。小学校の卒業式は記憶になく、中学の卒業式は分からない。高校の入学式や卒業式に来たかどうかは分からないが、大学の卒業式は来たらしい。別々に出かけて、現地でも顔をあわさず、別々に帰ったが、家で「(卒業式の会場に備わっていた)パイプオルガン見に行った」と言っていた。言い訳の多い母である。この感じだと、中学の卒業式も来ていたんじゃないかと想像する。大学院の入学式と卒業式はふつうの教室だったので、これは絶対来ていない。

今思えば、母は私と一緒に行きたかったんじゃないかと思う(行かないけど)。

どんなにいい学校に入っても、学生というのは「誰かに何かをしてもらう存在」、つまりマイナスの存在である。卒業するのは「誰かの手助けがなくなる」状態であり、ゼロになったに過ぎない。職業を持って初めてプラスの状態になるのだから、その象徴である入社式を、親は見たいだろうし、子どもは親に見せたいだろう。我々の年代と違って、今の若者のは本当に親思いだから、おかしな話ではない。

「親同伴なんて信じられん」という言葉は、将来は、もしかしたら「夫が家で家事をするなんて情けない」という発言と同じくらい非常識になるかもしれない。

今のところ、実際に同伴するのは恥ずかしいと思う人が多数派だろうから、妥協案として入社式の一般公開はどうだろう。東大卒業式の祝辞がニュースになるくらいだから、入社式の祝辞も報道され、企業PRに役立つかもしれない。一石二鳥である。

「社会に開かれた入社式」なら、それほど違和感はないのに、「親同伴の入社式」となった途端にナンセンスな話になってしまうのは残念である。

 

新しいOJTのカタチ!? 「満員電車の正しい乗り方」訓練法。(2013年4月1日)

満員電車のマナー問題。4月初旬は必要以上に駅が混雑する。これは、暗黙の動線を理解しない人が増えるためだ。また、満員電車でのマナーは路線や駅ごとに微妙に異なるため、簡単に習得することは難しい(暗黙知)。そこで新入社員の教育プログラムに組み込んだ形式知にしてはどうかという提案である。

たとえば私の勤務先の最寄り駅は、地下鉄丸の内「西新宿」である。新宿から乗ると1駅なので、入口近くに陣取りたいところだが、実際には西新宿駅での降車人数が非常に多いため、その必要はない。従って、新宿駅で乗り込んだら一番奥まで進むのが「正しい」マナーとなる。しかし、降車客の少ない駅の場合は、奥に進んでしまうと降りられないかもしれない。人を押しのけて降りるのも大変なので、この場合は入口近くに居続けることが「正しい」だろう。こういうことは、あらかじめ教えておいた方が混乱が少ない(実習は不要だと思うが)。

実は、何ヶ月たっても、新宿から乗って西新宿で降りるくせに奥に詰めな人が相当数いる。おかげで入口で停滞して乗車時間が長引き、列車遅延まで発生している。残念なことである。

 

「職場における敬語の廃止を検討する」WG発足へ?(2012年4月1日)

「敬語は面倒だから廃止せよ」という極論。極論は、極論になるほど面白いので、この記事もなかなか面白いのだが、それで終わってしまっている。

日本語の敬語は、相対敬語が基本であり、相手との関係で言葉が変化する。さらに「謙譲語」という厄介なものがあり、難しいことは確かである。しかし敬語がないから敬語表現がなくなるわけではない。敬語を廃止すると、表現を工夫する必要が出てくるため、かえって難しい状況になるだろう。

敬語が使えない若者は結構多いが、実は「使えない」のではなく「使わない」という説もある。「会社」という環境での対人関係の距離感がつかめないため、敬語を使うべきかどうかが判断できないというのだ。昔だと、距離感が分からない場合は遠い、つまり敬語からスタートしたが(デフォルト尊敬)、若い世代は日常語からスタートするらしいのだ(デフォルト対等)。要するに文化が違う。

敬語を教えるより前に、会社における対人距離や文化の違いを教えるべきなのである。もっとも、その「ずれ」が記事の面白さなので、残念感はあまりない。これは良かった。

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▲写真は本文と関係ありません

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