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平成最後の12月。

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もう家族の住む、東京に戻っています。

いつもの年末は、仕事納めが割と遅めなので、休みに入って急いで年賀状の制作をして慌ただしく過ごしていたのですが、今年は家族と離れていた、ということもあり、かえって先に済ませていたので、落ち着いた年末を過ごしています。

平成最後の12月だそうで。だそうで、という伝聞推定系にせずとも平成最後の12月なんですが。来年に元号が変わることは既に決定されているし。

ただ、個人的には、「平成最後の○○」と言われても、これからも自分達の生活は続いていくし、元号が変わることによって直接何かが生活に変化をもたらす訳では無いと思っているので、何かまぁこう実感するものが無いというか。

むしろ、結果として「昭和最後の12月」だった時のことをふと思い出してみたりします。

昭和最後の12月は、浪人生でした。そして、特にこの12月は卑屈になっていた。

その卑屈になっていた理由などは、以前書いたので書きませんが。

※もしよろしければ、またこちらもご笑覧下さい。
人生って素晴らしい。
http://blogs.itmedia.co.jp/usrtodev/2017/09/post_7872.html

一応、心の中では某国立大学の某理系学部を目指していた。その目指す方向性に自分の努力が全く足りていないであろうことも、自分の実力がどうやら足らなそうだということもわかってはいたけれど。

当時の国公立大学試験には、"共通一次試験"を受験する必要があったので、当然、共通一次試験の受験も申し込んでいました。

その受験票には「昭和64年」の記載。翌年早々、元号が変わる事態が起きるなんてことはこれっぽっちも思ってなかった。

そんな想定もなく過ごしていた年末年始は、明日への不安、自分の空回りする意気込み、(家族を除いて)誰か心の支えになる人が居ないという寂しさ、悩む間があれば勉強すれば良いのにと自分を蔑む気持ち、でも不安からかどうしても逃げてしまう自分、みたいなものに囲まれ、自分自身を見失って過ごしていたように記憶しています。

今、思い返すと、色々幼かったな、と。

もっと集中して色々取り組みを進めていれば、今とは違う人生だったかもしれない、とは思うけれど、平成の30年間を暮らしてきた中で、結果として様々な出会いがあり、様々な別れがあり、様々な経験があり、今、何とか生活もできている。

多少の凸凹はありますが、総じて、自分なりにこの平成の30年間は頑張ってきたな、と。浪人生の時には思いもつかなかった職業について業務をしているけど、自分にとっての"平成"は、自分なりのキャリアを確立した時代だったと思っています。

自己評価甘甘ですが。

さて、新しい元号が何になるのかわかりません。
前述のように、新しい元号になったからと言って、直接生活が何か変わることは無いとは思うけど、次の元号を生きている際、自分にとってどのような時代になるのか、それを自分で作り出すのか、流されながらでも確立していくのか、そういったことを思い馳せながら新しい年を迎えたいと思います。

本年も一年、お世話になりました。来年もお付き合いの程、よろしくお願い申し上げます。

妹尾 高史

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