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読めばベタに分かる、タイトルどおりのブログ

人生って素晴らしい。

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先週末、自分が3月末まで参加していた会社のプロジェクトの解散式があった。
自分は部署異動に伴いそのプロジェクトから離脱することになったのだが、そのプロジェクトは自分が今まで経験してきた業務内容とは全く異なるジャンルのものだったので、最初参加できたことも嬉しかったし、結果として一番活躍しなくてはいけないこの半年に参加してプロジェクトの力になることができなかったことは凄く残念だった。
プロジェクトの解散=産み出されたものができた、ということなんだが、それに伴い、プロジェクトだけではなく、そこに参加していたメンバーの10月以降の勤務地や業務内容も変化する。
中核メンバーに誘ってもらい、その日は随分と遅くまで話し込んだ。

プロジェクトの解散式の終盤では、中核メンバーの一人が編集したという、NHKの番組「プロフェッショナル 私の流儀」風プロジェクト参加メンバーの紹介動画が流された。
後から聞くと、NHKがそういう動画を作ることのできるアプリを公開しているらしい、とのこと。
調べてみるとあった。
NHKプロフェッショナル 私の流儀 公式アプリのページ
http://www.nhk.or.jp/professional/apps/
各メンバーの画像が出る。自分もその中に入っていた。
各メンバーが、その動画のために撮影された画像である中、自分の画像は、以前アイティメディアさんに取り上げてもらった、「オルタナティブな生き方」のそれだった。
よく見つけてきたな、と思いつつ、あれ何年前の話だったっけ?とすぐには思い出せなくなっていた。

今週月曜日、課のメンバーの一人の相談を受けていた。結構長い間、お互いのこれまでの話やらこれからの話やらを話して。
自分と一回り以上離れている彼に対して、自分は誇れるような実績も無ければ経験も無いので、年寄りの自慢話をする訳でもなく、前日某テレビ番組で紹介されてネットで話題になった"ブラック"的叱咤激励をする訳でもなく。それはそれで、できるネタが無い、というある意味「残念ながら」でもあるし、ある意味「これで良かった」でもあるしと思ったが、自分のいかに"流され人生"を反面教師にしてもらうべく語ってみたり。その"流され人生"の一つとして、金曜日に久しぶりに「オルタナティブな生き方」での画像を見たので、その文中では8行でまとめられている大学入学の話~嫁さんとの出会いまでの話を彼に改めてしたので、誰も読みたくないと思うが書いてみることにする。

・・・と考えたのだが、この文体の調子で書き始めると、本当に誰も読まないどころか、自分自身でも何を書いているのかわからなくなるので、時系列で淡々と書いてみる。
以下、ところどころ「付き合う」という話が出てくるが、今のこのご時世と違うので、あくまで"ピュア"な関係だったことは先に記しておく。

1.
中学3年生。いじめられていた訳では無いものの、なんとなくウマが合わない集団は居て。
彼ら彼女らと同じ高校に行かないように、少し上位の高校を目指す。
学校の成績は決して良い方では無かったので、進路相談にあたり「その高校は絶対受からない」と先生から忠告を受けたものの、
前述の件があり、そして、併願で受けた某大学付属高校に合格したことからか、内申が少し上がったらしく、無事、某府立高校に合格。
中学3年生の後半で、話が合ったAさんから告白される。人から告白される経験が無かった(それまで自分から「行く」しか無かった)自分は断る理由が無いため受諾する。
ちなみにAさんとは同じ高校に進学。同じ高校に進学することになったから告白されたのか、ただの偶然なのかは未だ知らない。

2.
高校1年生。軽音楽同好会に所属。Aさんも同じ同好会に。それぞれ別のバンドを組む。
Aさんのバンドに、別の中学から進学してきたBさん、Cさんが加入。
BさんとCさんは共に違う中学出身だったが、バンド外でもウマが合うようで割と一緒に過ごしていた。
冬休み。高校主催の任意参加のスキー合宿に参加。ここでBさん・Cさんも参加していた。
スキー場に向かうバスの中で色々話をしていたら、なんかBさんのことが「良いなぁ」と思い始めていた。
ただ、好き、という程の感情でもなく。Aさんのこともあるし。

3.
高校2年生。前半。Aさんに対する気持ちが少し離れていた。
何かが悪い、ということではなく、それまでの立ち振る舞いが自分の望むのと少し違うような気がしていたことが、徐々に積もって来た感じ。
別れることにした。Aさんは一応素直に受け入れてくれた。
が、AさんはBさんを呼び出して「お前のせいだ」とかなんとか言ったらしい。
それをBさんから聞く。確かに仲良くは話していたけど、まだ好き、という感情では無かった。
逆にその話を聞いて、Bさんを守らなきゃ、という気持ちからか好きになる。
後半の2月。付き合うことに成功。

4.
高校3年生。一応現役でも予備校に行ったら?ということで高校2年の時から行き始めていたD予備校を、親には言えなかったけど、Bさんが行っているという理由で別のE予備校に転校。
転校、っていうか、Eに行かせてくれ、って言った。なんか適当な理由を付けて。
彼女は私立文系コース。自分は数学だけは好き、という理由から国立理系コースを志望。
(余談だが、未だに物理と化学は苦手。現代国語が好きな理系という謎の人間ではあった)
自分の志望はなんとなく、電子楽器を開発する人になりたい、という漠然とした理由から工学部。
(しかし、今、思い返すと、本当に"なんとなく"しか考えていない、超ダメな高校生だった・・・それは高校生の時に限らないかもしれない)
しかし、Bさんと同じ大学には行きたいとも思ったので、国立理系1校、国立文系1校(←同じ大学。超地元のため)、彼女の志望する私立文系F大学の3学部、計5学部受験するも全て玉砕。
世の中には、高校生のカップルは、大抵女子は現役で通って、男子は落ちる、なんて話を後から聞いた。確かにそのとおり、とも思った。
今から思えば、正直日本の大学受験制度をナメていたんだろうな。前述のように、なんとなく思った高校通っちゃったし。ある程度やれば何とかなるもんだ、と思ってた。そのある程度の"程度感"も理解せずに。

5.
浪人1年目、~12月ぐらいまで。予備校は、現役の時にも通っていたE予備校。一応国立理系コースに。
当初3ヶ月は明確な理由があった訳じゃ無いけど、自分の気持ちがリセットできてなくて、ずっと自作の曲の宅録をやっていた。
親もなんとなく見逃してくれていた。3ヶ月目に、一応、自分なりの「アルバム」完成。
Bさんは人見知りし易い、と自分で言っていたことと、一応、俺が居るから、という理由でアルバイトをE予備校で始めた。非常勤という形で。
だから、Bさんとはたまに会うことができた。但し、向こうは事務所の中、こちらは生徒。その隔たりは、物理的なものより心理的なものの方が大きい。
Bさんを始め、として、他の非常勤バイトのシフトを、常勤のバイトが組んでいる、と言っていた。それが、Bさんと同じF大学に通う、自分、およびBさんと同い年、当然現役合格のGさん(男子)。
Gさんと事務所内で仲むつまじげに会話するBさんを見てどんどん卑屈になっていく自分。
ある日、というか、未だに明確に日付を覚えている、11月16日、Bさんに呼び出される。
Gさんに告白された、と。気持ちが動いている面もある、と。でも、自分に対する未練もある、と。どちらも選べないので、どちらとも接点を切ると。
卑屈な自分。今の立場の自分。反論できる材料は無い。素直に受け入れる。
自分は自分なりに、Bさんへの想いを確かめる。意をけっして、彼女に電話をする。「もう一度やり直せないか?」と。
それが12月26日(よく覚えている)。彼女の誕生日は12月21日。
「ずっと待ってた。でももう遅い。」
と言われた。
Gさんから、二週間前ぐらいにアプローチがあったらしい。「考え直してくれないか」と。
自分からの再度のアプローチをずっと待っていた、と。でも自分は動かなかった。そんな中でGさんはしっかりと男としての態度を見せた。
12月21日の誕生日には、「銀のネックレス」をプレゼントされたらしい。
「そら、学生でアルバイトもして、好きな人に貴金属贈れるなんて、良い身分ですわね。」
より一層卑屈になった。
19歳の誕生日に"銀"のものを贈るといいらしい、ということを知ったのは、それから随分後だ。
https://matome.naver.jp/odai/2146651813376723801
今のように、ネットの無い時代。それを差し引いた、としても、自分は何もかも知らな過ぎたし、相手のことを考える、ということの思想に欠け過ぎていた。

6.
浪人1年目、'89年1月~3月。
なんとなく、自分の地元の関西で進学することだけは決めていた。というか、当時、関西以外にわざわざ進学することの理由を見つけられていなかった、というか理解できていなかったからだ。
それは前述にもつながる。あまりに何もかも、世の中のことを知らな過ぎた。
ただ、少なくとも、F大学だけは受けない、と決めていた。BさんとGさんが現役で通う、かつ付き合っている世界だ。
受かる受からないの問題ではなく、そこに行く意義を見い出せなかった。
親にも「あそこだけは受けない」、と言った。何故?悪いところじゃないでしょう?と言われたが、理由は言えない。
そうこうしている時に、Bさんに呼び出された。
「どこ受けるの?」と。
いくつか候補を並べた。
「うちの大学は受けないの?」と。
受ける訳ないでしょうが、と。
「今、Gさんと付き合ってはいるけど、やっぱり(自分とは)感覚が違う所がある。側に居てくれる存在であれば嬉しいな」
言われた原文は覚えて無いけど、そんなニュアンスだったと思う。
まだ未練があったのだ。一学部だけ受けることにした。
浪人の時に受験したのは、国立理系1校、公立文系1校(←AO入試をはじめた数少ない国公立校。当時、たわいも無い賞だが、作曲で佳作をもらったことがあり、受験に嫌気が差していたので、あわよくば、と思い)私立文系1校、私立理系2校(このうち、一つは文系と同じ大学、もう一つは自分が高校の時併願で受けた付属の大学)、そしてF大学の、計5校6学部を受けた。
F大学の受験にあたっては、文系学部ではあるが、国語、英語、数学の3教科で受けた。
社会を選択するか、数学を選択するか、は受験者の自由。当時は事前に選択する必要があったが。
受験後の帰り道、高校の同級生の同じ浪人組だったか、同じ予備校の人間だったか、覚えていないが、
「今年から、F大学の配点変わったから、どうかな?」
と誰がが発言した。「え?そうなの?」と。
従来、英語200点、国語100点、社会or数学100点の400点満点だったものが、自分の浪人の年から、英語200点、国語150点、社会or数学150点の500点満点になった、と。
実は受験後、未だに真相は判明していないが、数学だけは満点だった自信があったので(時間内に十分終わり、見直しても誤りは見つけ出せなかった)、この時点で、"もしかすると受かってるかも"という確信はあった。その配点を知らされたのは、阪急宝塚線の車内、雲雀丘花屋敷(←関西以外の人は読めない駅名らしい。ひばりがおかはなやしき、と読む)付近を走行している時だった、と思う。
合格発表の日、Bさんは一緒に見に行く、と言った。学校に着いてみると、Bさんだけではなく、Hさん、Iさんという、Bさんの同級生が居た。Gさんの手前、二人きりでは見に行けない、と。
「なんじゃ、それ」と思いながら、行ったら合格していた。
その後、近隣の駅前の喫茶店でお茶したような(記憶は曖昧)。とりあえず、Bさんはその後、Gさんと会う約束があって、Hさんは軽音楽のサークルに入っているという話を聞いたことは覚えている。
6学部受けて、合格したのは、そのF大学のその学部だけだ。他に選択肢は無かった。F大学のその学部に行くことにした。
親は喜んではくれたが、自分としては複雑な気持ちと、E予備校の「私立文系コース」に通っている、高校の同級生から、「お前が文転して受かってしまったから、(そのF大学のその学部に)行きたいと思ってた奴がはじきとばされた」と冗談なのか本気めいた言葉を言われた時、「そんなの知らん」と思いつつも"申し訳無い"という気持ちにはなった。

7.大学1年目スタート。
入学式。一人で行った気がする。
入学式を終えた学生を待ち構えるように、学校中のサークルが、新入生歓迎のためのイベント行っている。何かどこもパッとしないな、と思って、そのまま帰ろう、としている時に、学校の校門近くで軽音楽を演奏しているサークルに出くわす。しばらく聞いてみる。そうすると、前述のHさんがボーカルで出てきた。
「覚えてます?自分のこと?」
と聞いてみると、「ああ、あの時の」
という話になる。そこで、自分が入るサークルを決めてしまった。
その後、練習したり夏の合宿に行ったり。そうこうしているうちに秋の学園祭になった。
世の中、未だに変わらないと思うけど、男の鍵盤弾き、というのは貴重らしく、同サークル内でもいくつかのバンドにお声掛けをいただき、結果3バンドに参加する形で学園祭を迎えた。
誰がどういうきっかけで言い出したかわからないけど、「掛け持ちは一人2バンドまで、って決まってるんだけど」。
自分に言われても知らんがな。それは新入生である自分に問われることじゃなくて、今まで運営してきた先輩達が理解しておくべきルールでしょうが。
結果として、サークル内で、一番"力が弱そうな"バンドが急遽出られなくなった。
理不尽なことこの上無い。みんなこの学園祭に向けて頑張って来たのに。
先に結果から言うと、そのサークルの理不尽さの印象を後に引き摺って、10月末~11月月初に開催された学園祭から程遠く無い、12月末を以て、自分はそのサークルを脱退した。
で、その3バンド中、脱落させられた1バンドと、脱落を逃れた1バンドに共通して入っている人が居て、その人をJさんとしようか。Jさんは自分と同い年の愛知出身の人。ただ、自分とは違って現役合格し、そのJさんが入った学部で知り合いになったこれまた現役合格したKさんと、サークルの中とは別に「バンドしよう」、という話をしていて。そのKさんは「じゃあ、高校の時一緒にやっていた同級生のLさん、Mさん誘うね」という話になり。そのLさんが中学時代に仲が良かった、同級生のNさんを誘い、そのLさんとNさんが学園祭に見に来てくれた。
Jさんが、そのKさんを誘ったバンドに、「妹尾も参加してくれないか?」と。
(ほんと男の鍵盤は誘われ易い。これは本当の話)。

自分は初めて、そのNさんを見掛けた時、「素敵な人だなぁ」と思ったのが、感想。LさんとNさんは、高校を卒業して既に働いており、F大学とは何も接点が無かった。

アルファベットが多くて恐縮だけど、そのNさんが、自分の今のうちの嫁です。ただ、Nさんと結婚するに至るどころか、仲良くなるまでにはまたそれはそれなりのストーリーがあった。

長々と書く中、何が言いたかった、というと、自分で切り開く人生も然り、でも、流れ流された人生でもこんなに波瀾万丈はあるんだよ、と。ある意味、このブログのタイトルの「オルタナティブ」な生き方とも言える(←ホンマかいな)。

昨今、うちの近所の沿線では、正直、「人身事故」が多い。

みんな窮屈な世界を生きているのは事実。でも、生きていれば、やっぱり色んな出会い、変化はあるはずで。

自分は、前述にも書いたけど、何ら誇れる実績は何も無いけど、みんな、振り返って見れば、いくつものターニングポイントはあるはずで。

それを楽しむ余裕があるかどうか。もしくは楽しみましょうよ。

それは節に思う。

ちなみに、Bさんとは、F大学に入った以降、自分の卑屈度合いが更に増して色々あった結果、わだかまりを持ってしまい、今は何をされているかわかりません。連絡を取ろうとも思っていない。
ただ、ずっと登場しなかったCさんは、Bさんの件をはじめとして、要所要所で相談に乗ってもらった結果、未だに胸襟を開き合って話せる、性別は違うけど"親友"であることは最後に記しておきたい。

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