自分がかっこ悪いことを認識すれば結構楽になれる。
最近飲む機会があると、酔っぱらって寝てしまう率がもの凄く高くなってきました。いい歳した大人として恥ずかしい限りですが。
先日も初対面の人ばかりの場でしっかりまたやってしまいました。皆さん包容力のある方ばかりでしたので笑って許してはくれましたが。記憶も跳んでいるので何をしゃべったのだか定かでは無い。ただ変な暴言を吐くこともなく、ただ一人深酒をして、ただ一人さっさと椅子から転げ落ちたらしいです。
若い頃はほとんど酔いつぶれることなんて無かったんですけどね。だから相当な無茶も数多くしたことがあったのですが、今は絶対に無理、というのは自分自身でわかります。
単に年齢的なもの、もあれば、普段決まったスポーツとかをして体を動かすことをしていないから、というところもあるはず、という言い訳、もしくは開き直りもありますが、特にここ数ヶ月のつぶれ方には(自分で自己分析できるぐらいならしなければいいのですが)自分の考え方の変化があった、と思っています。
つぶれ易くなったのはここ数ヶ月に限った話では無いのですが、以前はつぶれる時というのは、何かヤケ酒であったり、一緒に飲む人との間合いを縮めようとして、もしくは縮まっていると思い込んで自分が(悪い意味で)調子に乗っている時でした。その根底には、「ええカッコしい」(by大阪弁)・・・じゃわかりづらいですね、「なんか格好を付けたがる人」である自分が居たように思います。大酒が飲めれば格好いい、という訳では決して無いんですけど、何せ若い頃(=20代前半~30代かかったぐらいを一応指しておきます)、自分一人で飲みに行って帰りにドブにはまって顔面にケガをした、とか、ごくごく仲間うちで飲みに行って嫁さんに「出て行け」とまで言われるぐらいにひどい醜態をさらしたことはあっても、少なくとも人前では崩れることが無かった訳です。ましてそこに女の人が居た場合、今思うと何だかバカバカしいのですが、「俺、酒の席は全然大丈夫だよ。どうだい?スゴイだろ?」的な意味の無いおごりがありました。その”成功”(?)体験を元に、すっかり体型も体力も変化しているのを無視して、かつ酒に失礼な”愚痴を言うための道具”みたいな使い方、もしくは”お前も俺のこと気に入ってくれてるよなぁ。だからお前も俺のことわかってるよなぁ”的な訳のわからない誤解をして調子に乗って、結果勝手に飲みつぶれて、結果一緒に飲みに行ってくれる友達を失ったりしてました。バカな話です。
で、ここ数ヶ月前。ちょっと心境の変化がありました。それは以前のブログに書いたとおりなのですが、言わば自分の「かっこ悪さ」をきちんと認識した訳です。すると途端に(実際にはありもしない)力を元に虚栄を張ることもなく、ただただ自分自身を”下”に見ることができるようになったのです。←正直言って、この文では自分の今の気持ちをうまく表現できてはいないのですが。決して投げやり、とか、諦め、とかではありません。また成長したい、と思わない訳でも無い。ただ、自分がそんなに”立派な”人間では無い、ということをきちんと自分自身で理解しておく、という感じです。そういう心境の変化を知らず、「だからお前はダメなんだ」とかいう輩(あえてこの言葉を使う!フン!)も居ますが、ある意味今が一番自分にとって本来あるべき姿のように思います。
だから今は非常に楽です。楽だけしていてはどんどん怠けてしまいそうになるので、自分自身で緊張感をコントロールする必要はあるとは思いますが、少なくとも「虚栄心を満たす」という余計なパワーが不要です。その一環で、でもそれは決して無理してそうしている訳では無いのですが、人を飲みに誘うことをしなくなりました。かっこ悪い自分が、酒を飲んだらさらにかっこ悪くなる、と思ったら、とても人を誘うなんてことはできません(苦笑)。なんか人との会話の中で自然と「行きましょうか?」となることはあっても、「今度、行こうよ」とは絶対言ってないはずです(→もし自分を知っている方居られたら、そうだと思うんですけど、どうでしょうか?(※オルタナ・ブロガーの方除く(笑)))。
お誘いいただくのは(余程の例外を除いて)大歓迎。そこは喜んで行ってしまいますけど。
かといって勝手に酔いつぶれて寝てしまったら、他の人に迷惑をおかけするのは事実は事実で、やはりそこはちゃんと自省して自制しなきゃいけません。つい先日ご迷惑をおかけした方々にはあらためてお詫び申し上げます(って、このブログの存在をお伝えしてない方ばかりなのですが)。今後は同じ轍を踏まないようにできるだけしていきます。
さて今晩もとある集まりがあります。会の主旨を聞くと(たぶん)自分は主役にはなりません。なおのこと、ちゃんと自制して盛り上げる側に立つようにしていこう、と堅く誓う朝なのでありました。