メディア・リテラシー~情報を選別できるもしくは疑ってかかれる能力
今、とある本を読んでいる。
本来はこの本です、とご紹介したいところだが、本の冒頭からいかにこの本が世に出るのに苦労したか、いかに通常の出版社では取り扱ってくれなかったか、といったことがくどくどと書かれている。だから、不用意にここで書いてしまってはITmediaさんにご迷惑をおかけするかもしれない。それは嫌なのでここで本の名前を挙げるのはやめておく。
ここまできてどの本かピンと来てしまった人も居るかもしれない。そういう方々に対して念のため書いておくと、その本の中身に関しては自分はコメントできる情報を持っていない。仮に持っていたとしても言えない。当事者では無いから「そうだろうなぁ」と思う部分もあれば「そうかぁ?」と思う部分もあるので。
ただ、その本の中に一つ気になったフレーズがあったので、それだけを取り上げてみる。
メディアリテラシー(メディアを読み解く力)
この本の文脈から言えば、巷に出回っている有名メディアが報じていることなんて案外虚像だぞ、うちらこそが真実だぞ、的な話なのだが、どっちが本当かは別にして、得られる情報を取捨選択し、選択したものでもそれを「真実」と受け止めるのか、「虚偽」と受け止めるのか、といった技術は確かに必要だ、と思う。
誰かが○○と言ったとする。その○○という話について、「まぁそうだろうな」と思うにしても「えー?それは無いんじゃない」と思うにしても、某かの判断基準を持たないとそれはできない。そのためには多い情報量と広範囲な情報収集、および可能な限りの経験則が必要だと思う。
10人中8人が同じことを言った、としてもその背景は全て違うかもしれない。10人中10人とも違うことを言っていても実は8人の背景は全て一緒かもしれない。短絡的に表面上に見える情報だけなら前者が全て同じ内容になってしまう。
一方、以前「出張ヒアリングの仕方」というエントリーを書かせてもらったことがある。ここでも書いたが、上手なヒアリングができない人は残念ながら存在する。そういった人が発信する断片的もしくは表面的な情報=現地で得た情報、として捉えてしまうと、その結果の判断に対して大きくミスリードしてしまうことになる。くれぐれも誤って欲しくないのはヒアリングしてきた人の能力を計れ、と言っている訳ではない。純粋に情報に対して受容できるものなのかどうか働かせられる情報をさらに身に付けておく、ということである。
先般テレビを見ていたら、アメリカの学者さんがとあることについて語っていたのだが、その人は流れた音声で英語は”I think・・・”と話し始めていたにも関わらず、画面に出たテロップには断定形で書かれていた。昔の自分ならテロップだけを見てその業界ではオーソライズされていることなんだ、と判断しただろう。でも(些細なことだが)先般から英会話を習い始めたおかげで”これはこの人の個人的判断なんだ”という判断をすることができた。自分が英語ができるようになった、という自慢では無い。偶然習った所だからわかっただけで、それ以外は相変わらず自分はまだまだ判断材料を持っていない。それでも一例として、テロップに誤魔化されるところだった、ということだ。
またとある例。ひょんなきっかけから、とあるベテランのジャーナリストのメールマガジンをとっている。そこに書かれていることはベテランならではの経験に満ち溢れた内容になっているのだが、自分は「まぁ、そういう見方もできるよな」というところに留めている。信じない訳では無い。いや、違うな、という訳でも無い。ただ少なくともものの見方には色々あり、誰かが見たことだけが真実とは限らない、という冷静さを持ちたい、と思っているだけである。
インターネットの普及に伴い、既存のメディアだけではなく、数多くの情報に触れることができるようになった。個人が書いているブログなどもその情報の一つだろう。但し、そのブログはもちろんのこと、メディアが書いていることにしても、鵜呑みをするのではなく、そこで「あれ?ちょっと待てよ」と思えるかどうか。もしくは「それは違うな。それは○○だから」と言える自信を持つか。自分は、このそれでなくても情報過多の世界で、溺れずに生きていくにはそれしか方法が無い、と思っているので、もっともっとメディア・リテラシーを身に付けたい、と思っている。