郵便の効率化大賛成。でも忘れて欲しくないこと
郵政民営化がスタートして2週間が経ちました。
今が攻勢時期!とばかりに、矢継ぎ早に色んなことが発表されています。
・日本郵政株式会社と日本通運株式会社との基本合意書の締結について
(ゆうパックとペリカン便の統合)
・「You Say YAZAWA 矢沢永吉フレーム切手」の販売について
・携帯メールを年賀状に印刷・配達 郵政とKDDI提携(asahi.com)
(何故か、日本郵政、KDDIとも公式見解が探し出せなかったのですが、YOMIURI ONLINEにも同様の記事がありましたから、ガセではないんでしょう)
改革は大事なこと。だからできることはどんどんやっていった方が良い、と思います。ただくれぐれも以前のエントリーにも書かせていただいたとおり、現場が複雑化することだけは止めた方が良い、と思います。
さて、今回取り上げたかったのは、郵便の超基本機能についてのことです。
郵便の超基本機能、と言えば、
・郵便を出す人が
・郵便を届けたい人に
・正確に届けられること
と自分は思っています。
以前、トラパパさんがコメントを下さった時に、自分が返答を書いた『「へぇ~すげぇ!」と思う体験』は次のようなものです。
[ケース1]存在しない住所でハガキが届いた。
高校2年の頃、大阪府箕面市粟生間谷(みのおしあおまだに)というところに住んでいた自分は、東京のとある会社に資料請求をしました(何の資料かは聞かないでください)。公衆電話で東京に掛ける、ということで、持っていたなけなしのお金はあっという間に減っていきます。最後の100円まで投入した電話が「ブー」と鳴って、言えたのは自分の名前まで。その請求した会社には失礼な話ですが、「名前の漢字はどう書きますか?」と言われて「いいです、たかしはひらがなで・・・」とまで言った時、電話は切れてしまいました。先方は復唱してくれたのは名前だけで終わってしまいました。
もう掛け直すお金は残っていません。信じて届くのを待つのみです。
ちゃんと資料のハガキが届きました。それのどこが「へぇ~」なんだ!って?
確かに住所はちゃんと書かれてましたよ。箕面市青葉台(あおばだい)と・・・。
当時の箕面市に青葉台(あおばだい)、という地名はありませんでした。
大阪の、いや、下手をすると、箕面市に住んでいる人でも、粟生間谷、という地名は知らない人がいるかもしれません。もちろん、”あおまだに”という発音をされてこの文字が書ける人は少ないでしょう。自分の滑舌が悪かった、というのもあるんでしょうけど。
もちろんその次に書いてあった番地は合っていたのですが、箕面市、集配郵便局は一つだけです。今のように郵便番号は7桁ではありません。市内全域をカバーする中、
・俗に言う、町村字部分の次の番地が粟生間谷に存在することを知っている
か、
・青葉台を口に出してみて・・・「ああ、これきっと粟生間谷のことを言っているんだ」という想像力を働かせられる
か、
・ズバリ、宛名に書いてある名前がどこに住んでいる人かを認識できている
か、のいずれかしか自分の家には届かなかったでしょう。
効率だけ考えれば、仕分けの段階で、「こんな地名あるか!」で”住所にあて所ありません”で返してしまうことだってできたはず。東京に返してしまうのは本当に簡単な中で、自分の家に届けてくれたのは、「届けたい」という想いと、プロとしての知識・判断が働いたのでは?と信じて疑いません。
[ケース2]一旦、違う地名で還付されかけながら届いた。
[ケース1]から数年経った頃、また同様に電話でカタログの請求をしました。今度はきちんと住所も含めて復唱してくれました。書き方の漢字も含めて。
でも実際カタログの届いた封筒にはおかしな住所が書かれていたのです。
美濃市粟生間谷と。
美濃は岐阜の地名です。送ってくれた人は完全に岐阜の地名だ、と思っていたようで、丁寧に取り扱い販売店のリストを入れてくれていたのですが、それは中部地方用でした。
実際、美濃の郵便局に行ったらしく、一旦”あて所にありません”スタンプが押されていたものの、その上に手書きで×が書かれていました。
この時も郵便番号は5桁制(箕面市は当時3桁「562」でしたが)。郵便番号にて自動選別されていたら美濃に行くことは無かったのかもしれません。でも、今回は定形外郵便でした。人手の仕分けで一旦美濃に行き、美濃から還付しよう、として「待てよ。これ、郵便番号が562って書いてあるけど、562ってどこだ?」と誰かが気付いて調べて「みのお?ああ、差出人が間違えたんだ」と判断してくれたから届いたのに違いありません。
偶然個人的なスキルのある、もしくは探究心の旺盛なスタッフに当たっただけ、と言えばそうだったのかもしれません。勝手な判断をして結果として違う人に届けてしまったらどうするんだ!との責任論もあるかもしれません。今では、言わば、Googleの「もしかして・・・」みたいに判断するロジックだってあるじゃないか、と簡単に言われてしまいそうかもしれませんね。
でも、ほとんどの要素が正しく書かれている住所のうちの一部が誤っていた時に、当時の、今のようにインターネットも何も無い頃に、「さっ」と判断して届けることができた、というのは十分プロの技だと思いますし、各個人の住所のようにデータ量の非常に多いものは、機械化しようにも相当の判断パターンを持たない限り不可能なことだと思います。
タイトルにも書いたように効率化は大賛成です。でも効率化=面倒だ、と思うことはやらないこと、「届けたい」と思う想いよりも簡単に済むことを優先するようになっては欲しくないなぁ、と切に願うのです。