オルタナティブ・ブログ > ビジネスライターという仕事 >

ITに強いビジネスライターとして、企業システムの開発・運用に関する記事や、ITベンダーの導入事例・顧客向けコラム等を多数書いてきた筆者が、仕事を通じて得た知見をシェアいたします。

議論が杜撰(ずさん)というのは、こういうことを言うのだ(#198)

»

目的と手段を区別し、必要条件と十分条件を取り違えず、網羅的であれば、考えていると言えそうだ。

東大史さんの「さあ、エコジョイしよう!」は、示唆に富む記事が多い。先日の「日本が発展していく、3つの理由」という記事も面白く読んだのですが、私は少し違うところが気になりました。

引用文における議論の、あまりもの杜撰さに驚いてしまったのです。

 「日本人が理解していないのは、経済の病状が歪んだ人口動態と複雑に絡み合っていることだ。この問題に取り組まない限り、日本の衰退はどうしようもなくなる。その理由は3つある」

 同誌が指摘する3つの理由とは、労働力人口の減少、引退世代に対する現役世代の数の減少、そして高齢化と人口減少によって需要減少、である。同誌はこのうち労働人口(15~64歳)の減少を最も重要な問題と指摘している。労働力の減少率を生産性でカバーしない限り、アウトプットすなわち総生産は減るという理屈だ。「1995年には8700万人でそれがピークだった。それが2050年には約5200万人となり、第二次大戦直後とほぼ同じになると推定されている」

(引用元 http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1011/22/news020.html

なお、これは英「エコノミスト」紙の特集記事の要約なのだそうです。原本を読んでいないので、そちらは批判できません。上の文章に限っての批判であることをご承知おきください。

※どうも上の「要約」が乱暴なだけのようで、引用元の記事を全部読むと、以下の批判は当たっていないところもあるようです。ということで「要約」に対する批判とここに明記します。

●杜撰な議論の3つのポイント

実を言うと、私は、前半部分については、正しいと思っています。

 「日本人が理解していないのは、経済の病状が歪んだ人口動態と複雑に絡み合っていることだ。この問題に取り組まない限り、日本の衰退はどうしようもなくなる。その理由は3つある」

 同誌が指摘する3つの理由とは、労働力人口の減少、引退世代に対する現役世代の数の減少、そして高齢化と人口減少によって需要減少、である。

と言うのは、以前、『デフレの正体』という本を絶賛する記事を書いており、ここまでは『デフレの正体』の主張とほぼ同じだからです。というよりも、『デフレの正体』を読んで、書いたとしか思えません。

なお、ここまでは正しいと思う私の主張と、東さんの前掲記事における主張は矛盾しません。「この問題に取り組まない限り、日本の衰退はどうしようもなくなる」 という部分を私は正しいと思っており、東さんも問題への取り組み方を書いているからです。

しかし、その先は、かなりひどい。

同誌はこのうち労働人口(15~64歳)の減少を最も重要な問題と指摘している。労働力の減少率を生産性でカバーしない限り、アウトプットすなわち総生産は減るという理屈だ。

ここで注意しておきたいのは、ここからの話は、上の主張――生産性の向上が日本を救う手段――が正しいかどうかの議論ではないということです。

そうではなく、私が言いたいのは、上の文章は、論理の筋道、言い換えれば議論が杜撰だということなのです。

私は、杜撰な議論のポイントは3つあると思っており、上の議論は、その3つをすべて備えています。

その3つとは、

  1. 目的と手段を混同している
  2. 必要条件と十分条件を取り違えている
  3. 網羅的に考えていない

です。

なお、これらがMECE(Mutually Exclusive and Collectively Exhaustive)かと言われると自信はありません。どちらかというと絡みあっているように思います。

ですが、実用的にはこれで十分ではないかと思います。この3つに陥ってないかを考えるだけで、議論の精密さは必ず向上するはずです。

●目的と手段がいつのまにか混同されている

このケースにおける、究極の目的は「日本の経済を救う」ということですが、それ以前に小目的というものがあります。それは、「総生産が減ることを防ぐ」ということです。

これに対する手段が、「生産性を向上させる」ということです。

ところが、手段がいつの間にか目的になっています。「労働力の減少率を生産性でカバーしない限り」という部分の「限り」という言葉が、このことを示しています。

このまま話が進めば、「生産性の向上」が「目的化」していくのは、会社の利益率を高めるためのコスト削減が、やがて自己目的化していくという経験を経ている人であれば、誰もが納得してくださるのではないかと思います。

●必要条件と十分条件を取り違えている

手段が目的化していく理由の一つとして、先の論者が必要条件と十分条件を(たぶんあえて)取り違えているということが挙げられます。

必要条件と十分条件は、かなり高い教育を受けている人でも取り違えることが多いので、ちょっとだけおさらいします。

「Aならば(必ず)B」という関係が成り立つとき、AをBの十分条件といい、BをAの必要条件といいます。

簡単な例で言うと、「正方形ならば四角形」。正方形は四角形の十分条件ですし、四角形は正方形の必要条件です。

「AならばB」かつ「BならばA」という関係があるならば、AはBの必要十分条件といいます。もちろんBはAの必要十分条件ともいえます。

先の例で言えば、「生産性が向上すれば、総生産が減ることが防止できる」という関係があります。つまり、生産性の向上は十分条件(必要条件ではない)ではない。

次の「網羅性」とも関係してきますが、総生産を増やす手段は他にもあります。たとえば、東さんは高齢者に労働人口としてがんばってもらうという提案をされています。

ところが先の論者は、十分条件である生産性の向上を、必要条件でもあるように主張しています。かくして、生産性の向上は総生産の減少防止の必要十分条件となってしまったというわけです。

●網羅的に考えていない

すでに触れていますが、先の論者の最大の問題点は、「総生産の減少の防止」には「生産性の向上しかない」と思い込んでしまったことです。

世の中には一つアイデアが浮んでしまうと、もう他の可能性がないかのように主張する人が実に多い。そのような人の議論の組み立て方が、必要条件と十分条件を混乱させながら、手段を目的化していくというやり方なのかもしれません。

実際には、生産性を上げなくても労働人口を確保するという考え方もあります。

その手段もいくらもあって、東さんのいう高齢者に働いてもらうというのもあるし、『デフレの正体』の著者藻谷浩介氏のいうように女性にもっと働いてもらえる環境を作るというのもあります。藻谷氏は反対されていますが、外国人労働者を増やすというのも選択肢としてはありですし、労働年齢を引き下げるという手段もあります。

私一人で考えているとこの程度しか出てきませんが、衆知を集めればもっと出てくるかもしれません。

それぞれの案を、きちっと吟味して、比較した上で結論を出していれば、私ごときに杜撰な議論だと言われることもなかったと思います。

●人のふりみて我がふり直せ

以上をふりかえれば、杜撰な議論からは正しい結論が出てくる可能性は低そうだといえます。

しかしながら、杜撰な議論をしている現場は多い。どんな議論が杜撰かを知らないからだと思います。

今日の3つのポイントだけで、議論の精密さはぐっと向上します。

特に、網羅性を担保するために、多くの人の意見を聞くということが大事なように思います。リーダーは心がけたいところです。

私自身どうでしょう。

考えずに発言しているときは、杜撰な議論の3つのポイントにはまっているように思います。

気をつけなければ。

しかしながら、一人でほぼ毎日書いているので、網羅性を担保するためにいろんな人の意見を先に聞くことはできません。だからこそ、一見したときにはムッとするのもありますが、フィードバックは基本的にありがたいと思っています。

ここに来て、中小IT企業からの相談を受けることが増えており、ここ数ヶ月の新規顧問先は、すべてIT企業という状況です。

そこで、中小IT企業の経営者あるいは営業マネージャ限定のセミナーを開催することにしました。

ITSemi.jpg

← 詳しくはクリック

--

icon_ya_red.gif 無料メール講座で、我々333営業塾のことを知ってください。

icon_ya_red.gif コミュニケーションについて一緒に考えるメルマガ「週刊突破口!」はこちらから

icon_ya_red.gif 無料動画セミナー「新規開拓営業組織の作り方」はこちらです。

icon_ya_red.gif 筆者のゆるゆるのイヌ・ネコ・メシブログはこちらです。

BKC.jpg


followme_04.gif

Comment(0)