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スマートデバイス導入プロ集団のイシン社長です。仕事に関係ない話題も多いです。

修学旅行ってなに?

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沖縄で、修学旅行生が痛ましい事故(事件?)に見舞われたのは記憶に新しいですが、今回はそれとは違う話です。

沖縄県には、今でも多くの修学旅行生たちが来ています。那覇市の中心地である、国際通りには、自由時間を楽しむ生徒たちをたくさん見かけます。

東京でも、僕の活動地域である浅草には、大勢の修学旅行生たちを見かけるのですが、そもそも修学旅行とはなんなのか、と考えてしまうことが多いのです。

もともとの修学旅行のルーツは明治時代。1886年(明治19年)に東京師範学校が行った「長途遠足」が始まりとされています。当時は軍事訓練的な側面も強かったのですが、徐々に文化探訪の形へと変化したそうです。

そんな修学旅行ですが、文部科学省のホームページを読み込むと、以下のように集約されます。

  • 実生活に即した学習: 平時の教室での授業(座学)では得られない、本物の自然、文化、歴史に触れ、知識を体験として定着させる。

  • 集団生活の規律: 公共の場でのマナー、協力、責任感を学び、人間関係を深める。

  • 未知との遭遇: 自分が住んでいる地域とは異なる風土や生活習慣を肌で感じ、視野を広げる。

とても曖昧なので、同じ文章をAIに読み込んでもらいました。

本来あるべき修学旅行の姿

「本来あるべき姿」とは、単なる観光地巡り(スタンプラリー化)を脱却し、生徒が主体的に動ける場であることです。

① 「自分事化」された探究学習

行き先をただ受け入れるのではなく、事前学習で「なぜそこに行くのか」「そこで何を発見したいか」という問いを立てるプロセスが重要です。現地でその答え合わせを行い、事後学習でアウトプットするまでがセットです。

② 非日常の中での「社会性」の鍛錬

スマホがあれば何でも解決する現代だからこそ、あえて不自由な集団生活の中で、意見の相違を調整したり、時間を守って行動したりする「生きた社会経験」が価値を持ちます。

③ 感性を揺さぶる「本物」との接触

教科書で見た金閣寺や、テレビで見た震災遺構を実際に目の当たりにした時の「温度感」や「匂い」。この五感を通じたインパクトこそが、10年後、20年後も残る学びの種になります。

こうやってみると、沖縄では「ひめゆりの塔」に行く修学旅行生が多いのは、合点がいきます。

一方で、東京に来る修学旅行生の多くは、某大規模遊園地だったりするわけですが、それはどうなんだろう、と思ってしまったり。いや、人によっては、次はいつ来れるかわからない、というのもあるでしょうが、それは修学旅行ではなく、ただの旅行だろう、と。

僕自身は、修学旅行にあまりいい思い出がありませんが、現代は、せっかく情報社会なのですから、だからこその場所に行けると良いと思うんです。旅行会社の言いなりとか、声の大きい教員や教育委員会の重鎮の意見ではなく、正しい選択がされるべきではないか、と思っています。

例えば、せっかく東京に来るなら、東京商品取引所を見学するとか、豊洲市場で実際に取引されるところとか。

沖縄であれば、イルカショーではなく、また危険な船ではなく、同じ船に乗るのであれば、伊江島に行って、地元の産業に触れるとか、いろいろあると思うんですよね。

ちなみに、我が家の子供たちの修学旅行は北海道だったのですが、1日は各班でタクシーを借り切って、各班で考えた場所(事前に先生への報告)に行く、というものでした。そこで得た知識、発見などは、後日報告書で提出するものでした。これが、最適解とは言えませんが。

ついでに、旅行会社に方々に苦言を申し上げると、何度か那覇空港から出発する修学旅行生たちが、沖縄料理でもなんでもない幕の内弁当を持たされて、空港のベンチで食べているのを見かけました。

もちろん、時間的なものもあるでしょうし、大人数を受け入れられる飲食店も少ないとは思いますが、そこは最後の沖縄の食事なのですから、クラスごとに分かれるとか、工夫をしてあげてほしいと思います。元旅行会社の社員からすると、旅行会社の企画担当の怠慢にしか感じられませんでした。

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