「普通」じゃない時代をどう生き抜くか
僕たち日本人って、「普通」という言葉が好きですよね。
「普通、こうじゃないですか」
「普通は、そういうことやらないよね」
じゃあ、普通ってなんなんだ?ということになりますよね。
格差社会とか言われる現代において、普通っていったいなんなんだろう、ということになりますよね。
もともと日本人だけで、阿吽の社会だった頃は、社内で「普通」と言えば、通じたんだろうと思うのです。
しかし、現代は社内に外国人がいたって珍しくない。さらに、世代が違うと常識が違うわけです。
夜にテレビを付ければ、あちこちで音楽番組があった平成の時代。ですが、今はほとんどありませんよね。これも、以前の普通が、今はそうではなくなったという証拠かもしれません。
最近感じるのは、若い人はあまり「普通」という言葉を使わないのでは、と。おじさん、おばさんほど、「普通、こういうことしないよね」とか「普通だったら、こうするべき」という言葉を口にしてしまいがちなのかな、と。
でも、自分が思う「普通」が、すでに「普通」ではなくなってしまっている、ということに気づいていない。これは、結構赤信号なんじゃないかと思うのです。
そして、自分が思う「普通」がそうではない、と知った瞬間に、今の「普通」を探し求めるのも違う。昨日のブログに書いたように、世の中は変わり続けているので、それを探し求めることに意味はないのではないか、と。
「普通」がまかり通りのであれば、殺人事件なんて起きないはずでしょうし、高速道路を逆走する人なんていないはず。極端な話、そういうことなんじゃないかと思ったりしています。
自分が思う「普通」は、必ずしも相手にとっては「普通」ではないかもしれない、と思って立ち振る舞うことが必要だな、と感じる今日この頃です。