「どちらかが悪い」と決めたがる日本の習慣を変えるべきとき
熊谷さんが「白井球審問題」として書かれていますが、ロッテオリオンズの佐々木朗希投手に、ボール判定をした白井一行球審。どうやら、白井球審からは、佐々木投手が判定に不服そうな顔をしたように見えたようです。現場では「そう見えた」「そんな不服そうにしていないように感じた」と、意見が別れているようですが、球審にそう見えたのであれば、そうなのでしょう。
さて、プロ野球ではピッチャーは審判の判断に従わないといけない、となっているようです。であれば、マウンドでそんな態度はとってはいけない。
一方で、球審が詰め寄ったことに対する反論も少なからずあるようです。
白井球審、判定不服見せた佐々木朗希へ詰め寄る姿に「当然の注意」「大人気ない」と賛否両論(SmartFLASH)
球審の白井さんがマスクを外し、何やら言葉を発しながら、怒気をはらんで佐々木に近づいたんです。捕手の松川虎生が間に入り、ロッテの井口資仁監督もベンチから出てきて、事態はどうにか収まりました」
球審が注意をするのはいいのでしょうが、詰め寄るのは間違いだと感じています。こちらも問題がある。
これは、我々ビジネスパーソンにも通ずるところがあるのではないでしょうか。
仕事においてなにかのトラブルがある。あるいはミスがあった。そこに二人が関わっていた。その場合に、どちらの責任か、をはっきりさせたがる人がいますが、はたしてそれがいいのか。そうではなく、両方に問題がある、と考えることができるのではないでしょうか。
Aさんにどんな問題があり、Bさんにどういった問題があるのか。これは、別々の仕事をしていても言えることです。「どちらのほうがより問題児か」という議論にも意味がない。どちらも問題児だ、という判断もあって然るべきだと思うのです。
先日アメリカの表彰式の場で起きた「暴力」は別。そうではない場合には、「どちらも良くない」という判断ができる人間でありたい、と思う今日この頃です。