どのように年老いていくか
僕の地元、東京都墨田区は、スカイツリーが完成し、それに合わせて錦糸町界隈が賑やかになっている一方で、スカイツリーの北側はさほど賑わってはいません。マンションがいくつか出来て、曳舟駅近くのイトーヨーカドーが新しくなりましたが、そこから北はほぼ10年前のまま。もっと言うと20-30年と変わっていない地域です。
そういう地域ですから、当然お年寄りが多い。僕は地元のお祭りの世話人をやっていますが、54歳の僕が若手。昨夜は、その中の中心人物(年番と言います)が10名以上集まりましたが、地元の鳶の頭を除いて、52歳が最年少、そして僕。その上は64歳、あとは推して知るべし、という状況です。
お年寄りが多い地域をどうこう変えることなど、決して容易なことではありません。そういうことよりも、自分自身がどういう年のとり方をしていくべきなのか、という参考になります。いつも明るい笑顔で気遣いのある人もいます。僕が関わる人たちは、もともとが世話人などという面倒なことを請け負っている方々ですから、人に気遣いのない人はいません。みんな心から地元を愛している人たち。
その一方で、自分のことしか見られなくなってしまっている人もいます。元々の性格、あるいは現在自分がどのような体調だから、と様々な事情があるのでしょうが、他人から見れば「自分勝手な人」という印象になります。
ツイッターやフェイスブックなど新しいツールが出てきたところで、自己中心的な人はそこでも自己中心的です。しかし、そういうツールを使いこなしているつもりになっている僕も、あと15年、20年もすれば僕の地元のおじさん達の今の年齢に達してしまいます。
4月14日号の日経ビジネスでは、「シルバー維新」と題して、年配の方々が社会、そしてビジネスに関わっていくことについて提言しています。50代後半で訪問営業を若手に指導する人、あるいは60歳を越えてから起業する人など、いろいろな諸先輩が掲載されて、ついつい一気読みしてしまいました。(僕は電子版で購読しています)
僕らが子供のころにいた、近所の頑固ジジイというのもいていいと思います。ただ、それは自己中心的な人とは違いますよね。先日、オフィスのある人形町で、タバコの箱をポイっと捨てた会社員風の人がいたので、「そんなところに捨てちゃダメでしょう」と注意した所、いきなり走りだして逃げてしまいました。そんな人たちではありたくない、もっと高いところで社会に役立てる、若い人たちに少しでも何か渡していける人間でありたい。そんなことを考えた天気のいい週末です。