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「サボり」と「息抜き」の境目、僕の行動を変えられるのは僕しかいない

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その昔、自分なりにメリハリを付けるつもりで、平日に映画を見に行ったことがありました。自分なりにゴールを設定して、そのゴールを達成したら自分にご褒美と称して映画を見るのです。だいたいそういう映画は、ゴジラなどの考えなくていい映画。ぼんやり見つめるだけで済むんですね。
 
じゃあ、この行為はサボりではないか、と言われると、まったくその通りで、自分で勝手に言い訳をしていますが、ただのサボりです。自分では「息抜き」のつもりでも、他人から見れば「サボり」に過ぎない。
 
僕の場合は外出したわけですが、社内にいても同じ議論が起きているのではないでしょうか。「息抜き」の雑談、「息抜き」にネット閲覧、「息抜き」にフェイスブック、ツイッターのつもりが、あっという間に1時間、2時間を無駄に過ごしてしまっている。「まあ、でも息抜きだから」と自分に言い聞かせるけど、頭の片隅には「サボり」という言葉、あるいは意識が残っている。だから、誰かに見られないようにコソコソ閲覧、あるいは書き込みをする。
 
「息抜き」あるいは「情報収集」と称して、数人で連れ立ってタバコを吸いに行く。でも、そこではただの雑談に終始し、しかし1時間に15分くらいはタバコ部屋で過ごし、一日で累計すると2時間くらいタバコ部屋にいる。8時間のうちの2時間なので、一日の四分の一はタバコ部屋にいたことになりますが、それも「息抜き」そして「情報収集」あるいはコミュニケーションと自分に言い聞かせる。決して「サボり」とは思いたくない。
 
これらの行為は、誰かに指摘されないように、と考えているのでしょうが、実は自分に言い訳しているに過ぎない行為なのですよね。もったいない。自分自身の行動は、自分が変えないと誰も変えてくれない。
 
僕たちは、どんなお金持ちも、そうでない人も、裕福な家庭に生まれた人も、僕も、みんな同じ時間を所有しています。一日はほぼ24時間。何年に一回、時間調整が入りますが、それだってほんの一瞬。人によってたくさんの時間を持っている、なんてあり得ないのですね。寝ても起きても、一生懸命やった時間も、ぼーっとネットを眺めて過ごす時間も、すべて同じ時間。時間泥棒がいるとしたら、それは自分自身にほかならない。昨夜、一日一日をとても充実過ごしている人たちとお話をさせていただく機会があり、そのことを強く再認識した次第です。

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