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ソーシャルメディアを個人の発散場所としてしまうと

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今年は、未成年者がツイッターやフェイスブックなどで炎上する事件、まさに事件が相次いでいました。

まあ、これらは写真が多いわけですが、これが大人になると写真ばかりではなく、文章から炎上することも少なくないようです。これって、通勤電車で喧嘩をする会社員に近いものがあって、「気に入らない」が発端であることが多いように感じます。
 
先月、公衆の場である通勤電車で、新聞を広げている男性と、近くにいた男性が喧嘩になるのを見かけました。新聞のインクはすぐに移ってしまうのは誰でも知っていると思うのですが、それを意識しないで新聞を広げている男性がいたのです。その近くにいた男性は、新聞をめくるたびに自分の白いシャツに新聞が当たる。いや、実は当たっていなかったかもしれないですが、当たりそうになるだけでも不愉快になるのでしょう。いつの間にか喧嘩が始まっていました。
 
ツイッターやフェイスブックの場合は、そこまで見ず知らずであることは少ないですね。フェイスブックならなおさらのこと、「友達」という言葉の中で申請して承認された関係の場合と、あるいは公開フィードを「購読」している、少なくとも片方は何らかの興味を持って発信者の意見を見ているのですね。
 
そこで書かれたことは、「友達だけ」だと言っても、例えば僕なら700人以上の方と繋がっていますから、その方たちがどう反応するのか、ということだと思います。例えば、僕が「ピアノはうるさい。迷惑だよね」なんて書いたとします。すると、僕のお友達である永井千佳さんがどう感じるでしょう。「大木さんの近所にはそういうマナーが悪い人がいるかも知れないけれど、ピアノが悪いわけじゃない」そうですよね。永井千佳さんは優しい方ですが、それでも自分が大事にしているものを貶されると、愉快な気持ちはしないのではないでしょうか。
 
車内の喧嘩のように見ず知らずではないだけに、その人の書いていることを興味を持ってみているだけに、余計に腹が立ったり、不愉快に感じたりしてしまうのでは、と推測しています。つまり、ツイッターやフェイスブックといった「公の場」には、少し気を遣って書き込むべきなんだな、と思うんです。自己反省もかなりあるわけですが。
 
自分自身も気をつけて、というより、人に気遣って、楽しんでいければと感じた土曜日の朝です。

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