岡田斗司夫さんの『僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない』を読んだ。
"同僚で後輩"の横山哲也から本を借りた。(同僚なので、呼び捨てにしておく)
岡田斗司夫さんの新刊『僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない』だ。
これは、横山哲也もブログに書いているのだが、私は私の読み方で感想を述べてみたい。
まずは、「皆が会社に"就職"する、って時代でもなくなってきたんじゃないのかなぁ」という話からスタートする。
こんなに就活が大変でいいのか? 学生時代のかなりの時間を就活に費やし、だけど、意外に早くやめてしまったり。。。なんか、変なの、と。確かにそうだよなーと思いながら読み進む。
で、その後、
○別に会社じゃなくてもいいんじゃないの? 「仕事する」というのは「会社に入る」とイコールじゃないよね。
○それに、そんなにお金ほしいの? 食べるため、というけど、食べるためにどれほどの収入がいるの? 「食べるため」だったらそれほど要らないんじゃないの。
○いろいろ欲しいものがあるというけど、何も「買わなくてもいい」んじゃない? 手に入れる方法ってほかにもあるよね。
○本当に必要なお金ってそんなに多額なものでもないってことにならないかな?
○だったら、会社に入ることを目指さなくても、「仕事」をすればいいじゃないの。
○誰かの何かを助けてあげれば、それが「仕事」になるよね。
○50個くらい「仕事」をしていけば、その中には、金になるもの、ならないもの、自分がお金を払うものなんかもあるかもしれないけど、だんだんとその中で、取捨選択もできて、適度なところで落ち着いてくるんじゃないのかな
○人を助ける、お手伝いってところから考えて、どんなお手伝いができるかをよく検討すればいいと思う
○子どもにもね、「進んでお手伝いする」ことを学ばせたらいい
○「お手伝いできることを自分で見つけてお手伝いできる子」だったら、将来、世の中がどうなろうと食いっぱぐれないんじゃないのかな
・・・・・なんてことが書いてあった。(上記は引用ではなくて、記憶から再生したストーリーなので、正確さにはきっと欠けます、あしからず。)
で、感想。
一部賛成、納得。
一部うーん、と唸った。
賛成というか、そうだね、と納得したこと。
○自分が誰かのお手伝いをするとそれが「仕事」になってくるよね。別に会社に勤めることだけが「働くこと」「仕事する」ことではないよね、という部分。
これは、以前、このブログでもコラムでも書いたけれど、「誰かを喜ばせる」ことが仕事だとしたら、「困っている人を助ける」「不得意なことがある人に、自分の得意を提供する」ということになるわけで、そこにちゃんと「働く」「お仕事」の価値が出てくる。
だから、子どもにもどんどん「お手伝いすることの大切さ」を実感させ、進んでお手伝いする子になるよう育もう。
ここは非常に納得。
うーん、うーん、と唸ってしまった部分。
○なんでも所有しなくたってもらうとか借りるとか、あるよね。それに、高級なものに拘ることもないんだよね。そういうことに拘るから一定の収入が必要になるわけで・・・。というトーンの部分。要は、「生活レベル」を落とせばいいし、それを「落とした」と思わなければいい。だって昔の日本人は、みんな「持たない」生活していたでしょー、ってな感じで書かれていたところに、「言っていることはわかるけれど(理解はできるけれど)、納得、賛同はできないなぁ」と思ったのだ。
ためしに、目の前に座っている上司に
「生活に必要な金額を下げてしまえば、別にあくせく働かなくても大丈夫じゃん、と言われたらどうする?」
と尋ねてみたら、
「おれ、それ嫌だ。 旅館のレベル、絶対に落としたくない!」
と即答。彼は、旅行好きなので、あちこちのホテルや旅館を厳選して利用しているらしい。
そうなんですよね。
何もかも「生活レベル」を落としていけばいいじゃん、そうすれば、それほど高い収入要らないでしょう?と言われればその通りなんだけれど、しかも、「それでも新しいもの、より高いものがほしい」なんて思うのは、そういう戦略に踊らされているだけだ、と言われれば、そうなのだろうけれど、でも、「あれが欲しい」「これがしたい」があるから頑張るってのもあるような。
いや、頑張らなくてもいいのか。
草食系に生きていけばいいのか。
ううううううう~~ん、わからなくなった。
岡田さんの本を読んで、先日読んだ平川克美さんの『株式会社という病』を思い出した。
平川さんも「会社というシステムはすでに終わっている」ということを様々な角度から述べている。
そうなのかもしれない。
現在のいろんなシステムが右肩上がりの経済、人口がどんどん増えていく時代をモデルにして作ってあるとするならば、そのシステムの前提が崩れていくとき、システム時代も見直す必要が出てくるし、見直さなくても、いずれ変化せざるを得なくなるのだろう。
全く別の1冊として『働き方革命』という本も読んだばかり。
「24時間働けますか?な昔のリゲイン的働き方をして、何が得られるのか、とある日突然考えた著者が、そういう働き方をやめ、定時で帰り、ライフも充実させ、公私とも健全な状態になっていく」プロセスを体験に沿って書いているもの(なんという簡単なまとめ方だろう)。
この本でも、「昭和な働き方」「高度経済成長期の働き方」「バブル期の働き方」・・・言い方は様々あれど、「もう、なんか違うよね」と「昭和世代」な私でも思い、やはり、共感したのであった。
思えば最近は、働き方とかWLBとか人生とか生き方とか、そんな本をたくさん読んでいる。たまたま進められたり、たまたま見つけたり、たまたま貸してもらったり、が理由で、自分から意識して選んでいるわけではないのだけれども、そういうところにアンテナがぴーんと立っている証拠なのかもしれない。