「褒めるのは適切な行動の基準を教える行為」という話の続き。
昨日(9/10)、「褒めるというのは適切な行動はなにかという基準を伝える行為でもあるんだよ」という鈴木有香さんのセミナーで聴いた話を書きました。
ブログを更新するとTwitterだのFacebook Pageだのでセルフ拡散をしており(しつこく!w)、その中で、友人が私のWallにくれたコメントが「ふむー」とうなる内容だったので、それについて考察したく思います。
彼女のコメントの主旨は以下の通り。
褒めると「適切な行動の基準」を伝えられるという側面はあるけれど、褒めている人の「褒めポイント」がずれていると困るという別の問題もある。ハタから見ていて、「えー、そこを褒めちゃダメっしょ」と思うようなことでも、なかなか指摘しづらい。特に、「ズレたポイントで褒めている人」が自分より上位職だったりするとなおさらである。だから、自分が褒める時、その軸、褒めポイントがずれていないか、褒める側(つまり、上司だとか先輩だとか)も時々は見直さないといけないんじゃないか。
こんな感じのことを書いてくれました。
むむー、ありうる。なるほど、そうだなー。
たとえば。
ある若手が、納期を1日遅れて顧客あての資料を仕上げてきた。中身がとても素晴らしい。上司も感嘆するほど。
『褒めなければ!』と上司が思い、部下にこう言う。
「納期は1日遅れているけど、まあ、あそこのお客さんは、長い付き合いがあるし、大目に見てくれるだろう。それより、上質な資料を出すことをお客さんも重視するから、このできばえであればとても喜んでくださるよ。よくやったな!」
部下は、
「そうか、納期は1日くらい遅れてもお詫びすればいいけど、それより、質を追求することが大事なんだな」
という風に学んでしまう。だって、上司が「適切な行動の基準」として、「納期1日遅れより、内容のすばらしさ」(納期より品質)が大事、と言ってしまっているわけだから。
この会話を聴いている他の人は、
「そうやって褒めちゃまずいだろー」
「そこじゃねーだろー」
と心の中で突っ込んでいるのだけれど、それをこの上司には言いづらい。自分より偉いとか、自分より社歴長いとか、自分とは別部署の人だから、といった理由から。
こうして、この上司の「なんとなくちがうんじゃないか?基準」は、部下に伝承されていき、部下には、「納期より品質」ということが刷り込まれていく。
う、う、これ、まずいんじゃないか?
・・・って話ですね。(上記は、あくまでも例です)
と考えると、「褒める」のは「適切な行動の基準」を伝える行為ではあるのだけれど、自分の「基準」が正しいか、を指導者側も吟味する必要があるということになります。
上記の例で言えば、
「すんげーいいもの作ってきたんで、褒めようと思うんだけど、どう思う?」と周囲に話してみたら、「品質を褒めるのはいいけど、納期遅れはきちんと”ダメだ”ってことを伝えたほうがいいっすよ。間違って覚えてしまうから」なんて誰かに言われれば、「あ、そうか」と気づくかもしれない。
上のポジションになればなるほど、周囲が主体的に諭してくれることはなくなるから、自分から聴いてみるしかない。
「私の基準、あってる?」
「私の基準、OK?」
と。
年長者、ポジションが上になればなるほど、自信が確信になっていっちゃうので、ここは気を付けないといけない点ですね。
「オレが考えるふつうって他者にとってもふつうかしら?」とか。
・・・・・とここまで書いて思い出したのは、サカタさんが書いていらっしゃるコラム。
「あなたのふつうは、ほんとうに、だれにとってもふつうですかー?」といった内容。
心当たりのある方も多いのでは?
「みんなみんな、ふつうはね、ふつうはね、というけれど、あなたのふつうがみんなのふつうではないんだよ。」 みつを・・・とか、ありそうですね。(創作です