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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

「グラスが空なら注ぐべし」と思うのと「気遣いをすべし」と考えるのとではとらえ方が変わる

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昨日(7月31日)のエントリーには、たくさんのコメント、ありがとうございました。実は、私のFacebook上でもすんごくたくさんのコメントが寄せられ、いろいろな考え方があるなぁ、と勉強になりました。

そういうコメントを読みながら、2番目の件は、ちょっと考えを改めました。改めた、というより、さらに考えました。かな。

「グラスが空になっていてもビールも注がないんですよ」と言われると、「手酌でもいいじゃん」「さしつさされつ、ってのは、過度のアルコール摂取とか、強要にもつながるから、言わなくてもいいじゃないか」と、なんとなくそう思ってしまったのですが、「グラスが空ですけど、どうします?」と尋ねるというのは、気配り、気遣いの問題ですよね。

うん、それならわかる。

「ビールも注がない」という行為ではなく、
「ビールがなくなっていることに気づかない」という気配り、気遣いにフォーカスすると、見え方がちょっと変わってくるように思います。

たとえば、自宅にお客さんを招いて、手料理をごちそうするという場面だって、客側は勝手に冷蔵庫を開けて、別のビールを持ってくることはできない。だから、「あ、次は何を飲みます?」などと配慮する必要があります。(アメリカだったら、勝手に冷蔵庫を開けるのでしょうが)

その場のムードをちゃんと把握している、相手の様子を観察しているというのは、どんな場合でも普遍的に大切なことだとも思えます。

「ビールを注ぐ」と考えたので、「そんなこと、しなくてもいいじゃん」と思ってしまったのですが、見方をちょっと変えると考えも変わりました。

で、「ビールを注ぐ」について私が抵抗を感じる理由は2つあって、簡単に説明します。

1つ目。新人のころ、部門の宴会に参加した翌日、「今年の新人はビールも注ぎに来ない!」と本部長だか誰かからクレームが来た、と上司から聞かされたことがあります。

とても離れた席にいる本部長にビールを持って行って注がなければならなかったの?とびっくりしたと同時に、「外資系なのに・・意外にウェット!」と思ったものでした。

しかも、その場で注意されなかったことからずっと気になってしまい。(28年経っても覚えているくらいですから)

2つ目。Ex-Husbandがカナダに住んでいたことがあり、私もたびたび、訪加していたのですけれど、ある日、現地の方と会食があり、ビール瓶が出てきたので、注ごうとしたら、手で制されて、「マダム、そういうことはプロの人がすることなので、あなたがしてはいけない。それぞれが自分のビールを自分で注げばよい」とたしなめられたことがあります。これも20年以上前の話ですが、鮮明に覚えています。

「お酌」というのを強要される、求められるというのが、とても嫌だなぁ、と私は思っているので、「ビールも注ぎに来ない」と嘆かれると、「自分で入れればいいじゃん!」と思ってしまうのです。

ただ、上述の通り、周囲への配慮と言う面で言えば、教えて必要はあると思います。


お皿が空いていたら、「何か召し上がりますか?」と尋ねるんだよ。とか。

「グラス空いてますが、次はどうなさいますか」などなど。

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ところで、3.の「子どもの行事」については、Facebookでも大勢から「わざわざ理由言わなければいい」「いう必要はない」「所要があって」「休暇なので」でいいじゃないか、という声が多数でした。ただ、本当のところはわからないのですが、もしかすると、いったんはそう答えたのかもしれないなと思いました。

「あ、その日は、休暇予定でして」
「なんで休みをとるの?」
「所用があって・・・」
「変えられないの?」
「子どもの行事で・・」

・・・と言わざるを得なくなる、というケースもあるような。

聴いた話なので、実際どうだったのかはわかりませんが。


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