「どこがわからないんだ?」「わからないところがわかりません」というやり取りを考察する
よく、新入社員に「どこがわからないんだ?」と問いかけてしまうことがあるのではないだろか。彼・彼女の返事は、「わからないところがわかりません(涙)」だったりする。
「わからないところくらいわからないのかー?」
「そればわかれば苦労はありません・・・(涙)」
「わからないところがわからないと何を教えたらいいのかもわからないぞー」
「でも、ほんとうにわからないんです」
・・・・・。
「わからないところ」が「どこ」なのか。
「なに」を聞いたら、「わからないところ」が「わかるようになる」のか。
「わからないところ」は「ここ」です! と言い切るには、それなりに「わかっている」必要がある。
でも、すでに何かを「わかっている」人には、「全然わからない人にとっては、わからないところがわからない」ということ自体が理解できなくなっている。
だから、冒頭のようなやり取りが職場で繰り返される。
たとえばですね。
作ったことのない料理を習う場面。
「練馬区名物”ダイコノモドキラシ”」
・・・。
先生は、練馬区名物”ダイコノモドキラシ”を作らせたら天下一品の大泉太郎氏。
「ダイコノモドキラシを作るには、まず、ダイコノをモドキラにするという下準備が必要です。簡単ですね♪ 最後に加えるのが”シ”です。」
「先生! ダイコノってなんですか? モドキラってなんですか?」
「ん? ダイコノといえば、練馬区名物のダイコノですよ。モドキラ状態というのは、モドをキラすることですけど、家庭科の授業で”キラ”は習ったでしょう? ま、とにかく、やってみればわかります。だって、今、私、いとも簡単にやって見せたでしょう?」
「・・・・うーん、わかりません。見てたけど、わかりません」
「じゃあ、何がわからないんですか? ダイコノは、今目の前にあるからわかるでしょう? モドキラも見てたらわかったでしょ?」
「見ていると簡単そうですが、何をどうやっているのかがぜんぜんわかりません。」
「おかしいなぁ、こんなに簡単なのに・・・。そうこう言う内にほぼ出来上がりましたよ。最後に”シ”を加えてはい、出来上がり♪ ”ダイコノモドキラシ”!」
「これが出来上がりなのですね。おいしそう♪ ・・・でも、私に再現できる自信がありません。全部を見ていたけど」
「見ていてもわからない? では、わからないところを教えてください」
「わからないところが、どこかがまずわかりません。何もかもわかりません(涙)」
「困ったなぁーーー」
・・・・・・・・・・・・
慣れている人、熟達している人にはどーってことないことが、初学者・初心者には、とてつもなく難しい。
難しいというより、「何がなんだかわからない」のだ。
「わからないところがわかる」ためには、ある程度の知識が必要なのだが、その知識を身につけるためには、とりあえず、なんでもいいから、一緒に身体を動かしてみることかも知れない。
まずは、やってみる。わからないけど、やってみる。
やってみている内に、少しずつ言葉を覚える、そして、そこから知識も増やす。
その上で、やってみたことの意味を考え直す。
だんだんと頭の中で点と点がつながってくる。
そんな感じなのかな。
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※:「ダイコノモドキラシ」という料理はありません。
ところで、
2014年4月1日の書きこみに多くの方がだまされたようですが、毎年恒例の「エイプリルフールネタ」でした^^;。