老人力がついてきた話。
川原さんが、「シンボー先生」の本について熱く語っていらっしゃいます。私もその本を買っていたので、感動し、コメント欄にコメントしていたら、話がどんどん展開して、「赤瀬川原平さん」のことに行きついています。
「赤瀬川原平」さんといえば、老人力です。
「物忘れがひどくなった」
「体力が落ちた」
「なんだかんだできないことが増えた」
とネガティブな表現を用いるのではなく、
「老人力がついた」
とポジティブに表現しようではないか、と提唱(?)されています。
そうそう、老人力、年々ついてきますね。
最初に「あ、老人力がついてきた!」と焦ったのは、10年ほど前のこと。
近くの都立公園をぐるぐるウォーキングしていたら、脇の野球練習場からフェンスを越えてボールが足元にころころころ、っと。 小学生時代、ソフトボール選手で、3塁を守っていた私としては、このフェンス(3メートルくらいあったか)を超えてボールを練習場の方へ投げ入れられる、と信じ、高く放り投げると・・・・。
いや、高く放り投げたつもりが、低く放り投げて、フェンスの半分も飛んでいきません。あれ? 再度トライしても同じ。
3-4回やっていたら、フェンスの向こう側から少年野球のコーチだか付き添いの親御さんだかが、苦笑しつつ、
「フェンスの下の隙間からこっちに渡してくださいませんか」
と提案。
ああ、この敗北感。
そのころからです。どんどん「老人力」が増してきたのは。
最近は、
●メガネが1日中見つからない → 洗面台の底から出てきた(ナゾ)
●腕時計が見つからない → 数日後に普段使っていない机の上に置いてあった(ナゾ)
などがしょっちゅうあって、大変です。
そのたびに「Twitter」で、「メガネがないけど、どこでしょう?」的つぶやきをすると、全国から(遠くはカリフォルニアから)「ここにあるんではないか?」とアドバイスを。
本当にソーシャルの力はすごいです(違う?w)
指さし確認が必要な年代になってきましたなぁ・・。(間もなく、この世に出荷後50年)