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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

若者は1歳年上でも「年寄り」と思い、年長者は30歳年下でも「同類」に感じる(かも)

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毎年10月に遅ればせの夏休みを取っているのですが、以前は10/1前後からだったのに、今年はタイミングを逃し、本日22日からとなりました。29日までの9連休! 

さて、昨日、大木さんの「親子ほど離れた社員の気持ちが分かるはずがない」というエントリーを読んで、ふと思い出したことを。

ちょっと前のこと。あるIT企業のマネージャと話していたら、こんなことおっしゃってました。彼、40歳くらいかな。

「ほら、こっちは、相手が新人でも25歳でも30歳でも、あまり年齢の差を感じないで、ふつうに、平気で接することができるでしょう? 違和感ないというか、壁があるように感じないというか、ハードル低いというか・・・。だけど、若い人たちからこっちを見ると、スゴイ壁の高さ、ハードルの高さなんですよねぇ。」

あ、これ、わかる!

大木さんもお書きになっているように、若いころ、数年上の先輩を「物凄い歳食った人」と思っていたことがありました。今でも母に言われるのですが、新人研修から帰ってくるたびに、「おじさんの先輩が・・・」と私が食卓で話していて、「何歳くらいの先輩?」と訊かれると、「28歳かな」と答えていたこともあったのです。

28歳なんて、まだまだ若いのに、23歳の私から見たら、「おじさんの先輩だ」だったわけ、ですね。

毎年新入社員研修を担当していますが、今年初めて学卒で平成生まれが入って来て驚きましたけれども、すでに年齢はダブルスコア以上。受講者は、こういう「歳食った」講師をどう思っているのかな?なんて、不安になることもあります。(母より年長だったりするわけですから。笑)

でも、私は、新入社員とふつうに会話できるのですよね。あまり年齢差を感じない。自分に子供がいないせいもあるかも知れませんが、年齢差が実際のそれよりも精神的なそれが近い感じで捉えられるのかも知れません。(いいか、悪いかは別として)

たぶん、誰もがそうなんじゃないでしょうか?

年長者は、いつもおじさん、おばさん、おじいさん、おばあさんに感じる。とてつもなくオトナ、年寄りに感じる。

いざ、自分がその年齢になってみたら、昨日までの自分と何ら変わってない気がする。だから、年下の人と違和感なく接する。


理由を考えてみたのですけどね、これ、「いつか来た道・これから行く道」の違いではないかと。

ほら、初めての場所に行く時って、「行き」は、すごく遠く、長い道のりを歩く感じしますよね。でも、同じ道を通って帰って来るときは、行きの半分とか2/3くらいの距離に感じる。すでに経験しているから。

年齢も同じではないかしら?

若い人から見ると、少しでも年長の相手というのは、自分が体験していない年齢にいるわけで、「未知」のゾーン。だから、その年齢の人の考えも行動もあるいは、存在そのものも、想像する世界なだけで、なんだか、不安。わからないもの。だから、「すんごくおじさん」「とてもおばさん」に感じる。


いっぽう、年長者からすれば、年若い相手の年齢というのは、過去、全て自分が「通ってきた道」。だから、なんとなく、「ああ、あの年齢であんなこと言っていた自分がいたな」とか「そうそう、そういう社会に対する憤りを感じたな」とか、「体力有り余っていたな」などとく理解できる。そりゃ、30年前の20歳と今の20歳は、置かれている状況は違うものの、それでも、「年齢」という意味では、全部体験済み。

だから、相手との距離があまり離れていない気がしてしまう。「帰り道」は短く感じるのと同じように。

・・・・・

ってことは、「若者は、年長者をスゴク年寄りと思い、年長者は、若者と自分との違いをあまり実感できない」というのは、未来永劫続く現象かな。今の時代に限ったことではなくて。


そういえば、こんなことを言っていた人がいました。

「20歳くらい年上の上司のこと、もっとしっかりしてよ、年相応に、って思うことがあるけど、彼らだって、その年齢、初めて経験しているんだよね。人間、全ての年齢を初体験して、その年齢にだんだん馴染んで来たなあと思うと、もう歳を一つ重ねることになって。だから、常に”この年齢”に自分が追い付いていない気がする、という気分で生き続けるのだろうねぇ」

うん、そういうもんかも知れません。

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