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国民の生命って最優先されるんじゃなかったでしたっけ?

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私は、どちらかというと原発容認派なのですが、それでも国の対応などを見ていると、イラつきます。

そのイラつきの根源を考えてみたところ、

国は国民の命や健康より、別の何か(原発)を優先させている現実

という結論にいたりました。

もっと正確に言えば、国が「命を大切にしていない」ことにイラついているのではなく、「確か、憲法あたりで、国は国民の生命や財産を尊重するとか書いてるのに、それを履行していない」こと、つまり「ルール違反」についてイラついているのだなと。

私はよく「ルールを守れ」とお上などから叱られる事が多いせいか、ルールを決めた側がルールを守らないというのが、生理的に許せません。

確か、国民の生命とかは、最優先で守んなきゃいけないんじゃなかったけ?

ならば、経済に影響があるとか、うんぬん言ってないで原発止めればいいじゃん。

と思い、改めて憲法を見てみました。

ありました、1章13条、、

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

まず、最優先とは書いてませんね。「最大の尊重を必要とする」。うーん。なんか、改めて見ると他人事のような表現だな。

さらに、但し書きがありますわ。

公共の福祉に反しない限り

というくだり。

じゃあ、東京23区を停電させないことや、経済を優先することが「公共の福祉」ってことなのかな?

じゃあ、憲法は、

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、東京23区の電気や経済を停滞させない限り、立法その他の国政の上で、そこそこ尊重する。

くらいに改訂すればいいのに。そしたら、文句はいいません。法治国家ですから。

ま、そもそも、国はこれらの解釈を盾に原発容認という姿勢をとっているわけではないですけどね。。

それとも、賢い人たちは、原発を止めて、クラーが使えなくなった際、熱中症で亡くなる人の数や、経済が停滞したときに増えるであろう自殺者の数が、原発そのもので亡くなる人より多いことを見越した上で、原発維持を考えているのか?

そうだとするとすごいな。ま、ちがうだろうけど。

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