批判することの性質
今さら、私が書くまでもないのですが、日本人?は、もっと「批判」のもつ本質的な性質についてもっと理解しておくべきだと思う。
ここでいう、性質とは、例えば、、、
褒めるより、批判するほうがずっと(おそらくは、生理的、物理的に)簡単な行為である。
といった、ことである。
(おそらくは、生理的、物理的に)
のところが大事である。
何かについて意見を求める会議などを行うと、リスクや欠点の指摘が多く出るのは、みんながネガティブで性格が悪いからではない。単に、批判する行為の方がはるかに簡単だからである。
このような批判についての性質は、理解している人にとっては、水が高いところから低いところへと流れるくらい当たり前のことであるが、意外と理解していない人もいるように思う。
例えば、、
褒める(エネルギー)=批判する(エネルギー)
あるいは
褒める(のに必要な前提知識)=批判する(のに必要な前提知識)
だと勘違いしている場合も多いように思う。
こういう思考の人は、例えば、iphoneの操作性について何か1つ欠点を発見すると、自分はAppleのUI設計者と同等の実力があるという短絡的な考え方をすることが多いように思う(って、批判しちゃってますかね)。
では、なぜ、褒めることより批判することが簡単なのか・・・
おそらく批判は多くの思考を必要とせず反射的にできるからだと思う。褒めるなど、良いところを指摘する行為はある程度の思考が必要であるような気がする。文献を真剣に調べたことはないが、おそらく褒めるときの方が脳の活性は高いに違いない。
私は、ファッションには全く興味も、知識もないが、プラダの最新作に対して難癖をつけるのに1秒とかからない。が、良いところを指摘しろと言われると、困る。これは、批判は自分の趣味の範囲内の知識でできるが、褒めるのは、前作と比べてどうかとか、他社と比べてどうだどか、前提として必要な知識量が全く違う。もちろん、ちゃんと批判することは、褒めることと同様に簡単なことではない。
批判がいけないとは思わない。批判なくして良いものが生まれることはない。
ただ、批判することが、褒めるよりずっと簡単な行為であることを理解する人が増えると、世の中もっと平和になる気がするのは、私だけでしょうか。