ガチャを理由に「このままでいい」という重大な選択をしていないか?
こんにちは、竹内義晴です。
伊藤洋一さんの、以下のtweetを拝見しました。
なんでもかんでもガチャと言えばいいわけではないだろw
-- 伊藤羊一 Voicyパーソナリティ (@youichi_itou) September 16, 2022
耐えろとも思わないし、楽しめばよくね?という感じでもあるし、嫌なら断ればいいし、
なんだろ、自分で自分の道選ぶか、配属を楽しむか、どっちかでいければいいと思うですよ。
「確かに、そういうことってあるな」と思いました。
先般出版した本、『Z世代・さとり世代の上司になったら読む本 引っ張ってもついてこない時代の「個性」に寄り添うマネジメント』で、ボクは次のように書きました。
昨今、「上司ガチャ」「会社ガチャ」という言葉があります。「ガチャ」とは、ソーシャルゲームなどで、アイテムを抽選によって購入・取得するしくみのことです。その語源は、カプセルに入った景品を購入する「ガチャガチャ」。何が出てくるかは運任せなのが特徴です。つまり、上司ガチャとは「上司を自ら選べない」、会社ガチャは「会社は入ってみないとわからない」という意味です。このバズワードは、若手世代のあきらめの心情をよく表しています。
「ガチャ」という言葉を最も象徴するのが「親ガチャ」かなぁと思います。「親ガチャ」はたしかにあるよなぁと思います。親は、絶対に選べない。特に、生活を親にゆだねている子どものころは「ガチャ」と言っても間違いはないでしょう。
一方で、子どものころは選択肢がすごく限られていても、大人になると「逃げる」という選択をすることができます。もちろん、それには大きな勇気を伴う場合もあるかもしれませんが、自分の意思で選択することができます。
では、上司や会社はどうでしょうか? 確かに、その環境に入るまでは「運任せ」といったところはあるのかもしれません。一方で、入った後は「逃げる」という選択をしてもいいかもしれません。あるいは、「同僚に話してみる」「同僚とよりよくできないかを相談してみる」など、何かしら「自分から変える」選択はできそうです。
「いやいや、会社の入ったばかりのときは発言しずらいし、そんなの、理想論ですよ」という意見もあるかもしれません。でも、本当は選択できるのに、その「選択をあきらめる」ことは、あきらめてほしくないなと思いますし、「主体的である」「自分の舵は自分できる」ことも、あきらめてほしくないなと思います。
先で紹介したボクの本は、どちらかといえば管理職やリーダー向けの本ですが、そこには、つぎのように書きました。
では、どうすれば世代間の「vs.構造」から離れ、世代間ギャップを知事めることができるのでしょうか? 答えは1つ。私たちが「変わる」ことです。
もしかすると、あなたは今「何でオレ(私)が変わらなくちゃいけないんだ」と思っているかもしれません。そう思われるのも当然です。でも、「自分が変わるより、相手を変えるほうがはるかに難しい。だから、気づいている自分が変わろう」。これが、本書のテーマです。自分を変えられるのは、それだけ柔軟な証拠です。
また、こんな風にも書きました。
「私たちから変化していきましょう」という話を聞いて、ひょっとしたら、次のように感じているかもしれません。
「何で若手世代のために、こちらが変わらなくてはいけないのでしょうか?」変わるのは「若手世代のため」ではありません。「私たちのため」です。
あなたもすでにお感じのように、今、社会の変化の速度はとても速くなっています。変化への対応力があるということは、マネジメントのスタイルだけではなく、社会の変化にも対応できるということです。
世代に関係なく、言えることではないかなぁと思います。
一言で「選択する」といっても、なかなか容易ではないですよね。不安もあります。だから、「選択しない」という気持ちもよく分かります。
でも、「選択しない」というのは、何も選んでいないように見えて、実は、「何も変えない」「このままでいい」という重大な選択をしているのです。
自分がはたらく環境をよりよくしていくこと、そして、仕事や人生を楽しむことだけは、あきらめてほしくないなと思います。