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「自立だ~」「成長だ~」だけだと疲れてしまう。農業も人とのつながりも三世代同居も、未来に備えた「生き伸びる戦略」

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しごとのみらいの竹内義晴です。

@IT自分戦略研究所で連載している仕事が「つまんない」ままでいいの?で、早期退職に向いている人、いない人という記事を書きました。編集者によれば、多くの方にお読みいただいているそうです。よかったら、読んでみてください。

この記事の内容を一言でいえば、「早期退職もいいけど、慎重にね」になるんでしょうけど、なんだか、モヤモヤしながら書きました。いや、ひょっとしたら、いまもモヤモヤしているかもしれません。

終身雇用や年功序列が崩壊しつつある(といわれる)今、「将来に備えよ」「スキルを磨け」「他人から必要とされる人材になれ」みたいな声をよく聞きます。また、AIが仕事を奪うと言われて久しい昨今、「何かを生み出せるようになれ」「もっと思考せよ」といった話も、耳にする機会が多いです。ひょっとしたら、ボクが書いた前出の記事も、その類のものなのかもしれません。

まぁ、確かに、その通りだと思うのだけれど、と同時に、なんとなくモヤモヤもするのですよね。「それだけが、解なのかな?」と。

会社に依存せずに、自分の足だけで歩けるようになることは、それはそれで、とても大事だとは思います。でも、一体「どれだけの人が、それを実現できるのか?」と。「みんながみんな、それを実現できるのか?」と思うと、ボクの頭には「?」が浮かぶのです。

たとえば、工場の組み立てラインの仕事。それは、ひょっとしたら、「同じことの繰り返し」で「クリエイティブな仕事」ではないのかもしれない。AIが発達し、ロボットの技術がもっと進んだら、その仕事はなくなってしまうかもしれない。

だけど、今現在は実際にあるし、ボクらは、そこで一生懸命働くみなさんのおかげで、豊かな生活を営んでいる。

そう思うと、やみくもに、「自立せよ!」「成長せよ!」と叫んでだけいるのは、なんだか違う......というか、無責任のようにすら感じます。また、急ぎ早に「自立だ~」「成長だ~」とばかり言われるのは、なんだか疲れてしまうのです。

ただ、かつてと違って「会社に所属していれば、のほほんとしていても安心」というわけでは、なくなってきているのは事実なのだろうと思います。では、どうすればいいのだろう?すべての人が自分ごとととらえて、これからの未来を切り開いていくには、何が必要なのだろう?

「将来に備える」......そのための方法に、自立やスキル、成長といったこと以外にも、あるのではないかと思っています。

たとえば、ボクは少しばかりの農業をやっているのですが、これは、趣味でありつつも「自分の食い扶持は自分で作る」みたいなことを意識してやってます。「とりあえず米だけあれば、食うに困らんだろう」と。

あと、地域の人と仲良くするとか、行事にできるだけ参加するとか。何か、困ったことがあったとき、身近に助け合うことができる人がいるといいなと思って。あ、農業もね、みんなが集うツールの1つです。

ほかにも、親と同居すること。多くの人数で生活したほうが、コストは掛からないしお互いを補い合えます。

まぁ、言ってみれば「昔のくらしに回帰する」という感じなのかもしれませんが、こういった「生活面を整える」ことも、将来に備える上では大切なことなのではないかと思っています。

でも、実際のところ、こういったことはなかなか面倒です。農業だって、買ったほうが安い場合だってあるし、地域の行事も結構ある。親世代との同居だって、面倒に思うこともないわけではありません。自分たちの世帯だけで好き勝手に暮らしたほうが、どれだけ楽か......。

だけど、長期的にみれば、「自分の食い扶持は自分で作る」「人とつながる」「コストが掛からない生活をする」というのは、ボクにとっては、未来に備えた「生き伸びる戦略」なのです。

みんなが自立し、成長した世界って、どんな世界なんだろう?「自立だ~」「成長だ~」だけだと、人を選ぶし疲れてしまう。ボクにはみんなが、ガッチガチのモビルスーツを着て、戦い合っている世界に見える。でも、2:8の法則ではないけれど、すべての人がそういう人になれるわけではないのですよね。

それならば、生活面の「こんな備え方もあるよ」ということを伝えていければいいなー。

ボクは、バリバリのビジネスも大好きだけど、それ以外にも、もう少しあったかい、おたがいを助け合えるような、人間臭い世界も好きです。

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