コミュニティって、何だろう?
最近、ボクは「コミュニティ」という言葉をよく見聞きするんです。
一つの要因として、サイボウズに所属していることがあると思っています。特に、サイボウズ式では最近「コミュニティを大切にしよう」というのが、一つの合言葉になっていて、先日も、社外の方も含めたサイボウズ式第二編集部が立ち上がったところです。
そんなこんなで、いろんな場で活動されている他のコミュニティとのつながりも生まれていることもあって、今まで以上に「コミュニティ」という言葉が、自然と目に入ったり、聞こえたりしているのかもしれません。
「コミュニティ」という言葉自体特に目新しいものではないですよね。以前から使われていました。意味を調べてみると......
居住地域を同じくし、利害をともにする共同社会。町村・都市・地方など、生産・自治・風俗・習慣などで深い結びつきをもつ共同体。地域社会。
とありました。
一方、最近聞こえている「コミュニティ」は、それとはちょっと違っていて、それを言葉にしてみると......
- 何かしらの目的や理想がある
- それに共感した人が集まっている
- それだけに、思いも強い人もいる
- でも、思いには強弱がある
- 居心地がよい
- フラット
一言で言えば、「同じ思いを持っている人が集う、居心地のいい場」という感じでしょうか。これが、近年言われるところの「コミュニティ」だと思います。
でも、ボクは個人的に、「コミュニティにもいろいろあるよなー」と思っていて。
上に挙げたリストのような「同じ思いを持っている人が集う、居心地のいい場」も、確かにコミュニティだと思います。でも、ボクは新潟の中山間地に住んでいて、前出の、辞書の意味に書かれたようなまんまのところに住んでいるわけですけど、そこに集っているのは、どちらかと言えば、「同じ思いを持っている人が集う、居心地のいい場」とは真逆です。
特別、共通の目的や理想があるわけでもないし、考え方も多種多様です。仕事も違えば年齢も違う。中には「好みのタイプじゃない」人もいます。時には道路掃除や水利の管理など、「地域総出の強制作業」もある。飲んだ席でケンカすることもなくはありません。共通点をあえて探せば「一緒の地域に住んでいる」ぐらいで、
でも、「じゃあ、これはコミュニティじゃないのか」と言われると、ボクにとってはれっきとしたコミュニティなんですよね。「同じ地域に住んでるよね」みたいな。「せっかくなら、その中でいい関係を築きたいよね」みたいな。「だって、ここに住んでいるからさ」みたいな。「飲んで語り合おうよ」みたいな。まぁ「それが同じ目的や理想だろう」と言われればそうかもしれないけれど、そんなには厳密に考えていない......そんな感じのコミュニティです。こういうコミュニティも、ボクは嫌いじゃないです。
でね。ボク、思うんですよ。
ひと昔、ふた昔前は、今より強固な、いわゆる「地域のつながり」みたいなものがあったと思うんです。それは、肯定的に見れば、「同じ目的向かって」なのかもしれないけれども、否定的に見れば、何だか、いろんなことに干渉されるような「生きづらさ」や「めんどうくささ」でもありました。
そういうのがイヤで、核家族化をはじめ「さらっとした人間関係」が好まれたりしてきたような気がします。
でも、最近の「コミュニティ」を見ると、なんとなく、昔に回帰しているような気がするんです。だからといって、ただ集えばいいというわけではなく、コテコテの人間関係を望んでいるわけじゃない。それでも「つながりがほしい」と。「共通の何かがほしい」と。所属の欲求みたいなもの?それが、イマドキのコミュニティなのかな?
ちょっと話はずれますが、最近、地方のコミュニティも、以前と比べると変化してきたような気が、ボクはしています。いわゆる「地方のなんとか」みたいな感じはかつてより薄れてきているし、柔軟な考え方の人も多いです。特に若手はそうかな。
今、社会にはいろんな課題があるので、これからは、いろんなコミュニティがもっと必要とされると思っています。集わないと、解決できない。でも、結局のところ、コミュニティって人が形成していくものだと思うので、あまり気合いを入れることなく、何かを急かすわけでもなく、「同じ目的を持った人が集っていたら、自然と場ができちゃった」......そんなコミュニティだと、居心地がいいのかななんて、思います。