高校野球の指導者として
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その第一歩は地方の公立高校だった。
生徒数約500人 野球部員は20人程だった。グランドはあったが、ネットやケージ、もちろんマシンなどあるはずがなく、ボールとバットだけの野球部だった。
練習時間は7時まで。困ったことに、7時まで練習すると帰りの交通手段がなくなる部員がいた。その町は鉄道がなくなり、バスも6時で運行が終了。毎日7時まで練習し、20キロ離れた家から通学する部員を毎日送って行った。
それから学校に戻り仕事。家に帰ると10時は過ぎていた。家では寝るだけ。取っていた新聞は開くことはなかった。TVも見なかった。その頃、何を食べていたのだろう。コンビニもなかった。
夜間照明もなく、陽が落ちるのが早くなると5時でもボールが見えなくなった。そんな時は、グランドに車を入れ、車のライトで灯りを取りながら練習した。
ノックもしたしバッティングピッチャーもした。紅白戦では選手に交じってプレーした。実戦練習では人数が足りないのでいつもランナーをやっていた。練習が終わる頃には部員よりもクタクタになっていた。
甲子園を夢見ながら、高校生と過ごす時間は辛くとも素晴らしい時間だった。
バットとボールしかない田舎の野球部。そこが自分の原点。恵まれた都会でスタートを切らなくてよかったと思っている。
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