1打席のプレゼント
S君は、選手ではなくマネージャーを希望して野球部に入ってきた。その理由を訊いてみると「肩肘を痛めて投げられない・・・」という。中学時代は1年生から4番を打っていたほどの選手だった。お兄さんは野球部でエース。3月に卒業したばかりだった。「弟が入ってきますのでよろしくお願いします」と言っていた。
S君は性格も良く何にでも一生懸命だった。マネージャーの仕事もやりながらノッカーもやってくれた。外野ノックは彼に任せていた。彼の手はボロボロだった。試合では選手よりも大きな声を出していた。ある時、お兄さんから「Sは怪我したことないし、投げられる」という話を聞き、本人に確かめたところ「悪送球をしてからイップスになった」というのが本当だった。右投げの彼は、人が見ているところでは左で投げていた。彼にはプレーしたいという気持ちがあったはずだが、黙々とマネージャーの仕事をしていた。
シーズン最後の練習試合の前日、S君に「最後の打者のところで代打で出す。1打席プレゼントするからユニホームとスパイクを用意すること」と伝えた。驚いていた。後日、お母さんは「帰ってくるなり、『明日試合に出るんだ』と本当に嬉しそうで、家でずっとユニホーム着てました」と言っていた。
打席に立ったS君にベンチからものすごい声援がおくられた。ファールにはなったがスイングも打球も強烈だった。2−3のカウントから見逃しの三振だった。際どいボールだったが振るべきボールだった。自分が主審だったので非情なコールだったかもしれない。彼の1打席は終わってしまった。「こんなすごいプレゼントありがとうございました」と言いにきてくれた。
数日後、「選手としてやらせてくれますか」と言いに来た。イップスと向き合う決心ができたのだろう。「大歓迎だ。練習は厳しいからしっかりついてこい」とだけ言った。
3年春夏、S君は4番としてチームを支えた。このチームは攻撃力が高く「私学のようなバッティング」とよく言われたが、その中心がS君。公式戦でもホームランを打つほどだった。
卒業の時、「あの1打席がなければ今の僕はなかった。先生に心から感謝しています。練習は本当に厳しかったです。」と色紙に書いてくれた。ご両親も、高校野球を選手として終えたことを喜んでくれた。
S君のことを思う時、私たち指導者は生徒一人ひとりの人生に深く関わっていることを思い知らされる。「何がきっかけで、道が開けるのか」「何が人生のターニングポイントになるのか」「いつどこにチャンスがあり、それをどのように与えるのか・・・」とその責任の重さを改めて考える。
高校生の野球には、勝ち負けでは括れないいろいろなドラマがある。