世界はどう変わるのか ― 「AI前提社会」の正体
1.1 汎用目的技術(GPT)としてのAI
電気、インターネット、そしてAI。社会の「インフラ」が変わるとき
私たちは今、人類史上で数回しか起きないような、巨大な転換点に立っています。
それは単に「新しい便利なソフトが出た」とか「iPhoneのような画期的な製品が出た」といったレベルの話ではありません。社会や経済の仕組み、そして私たちの生活の「前提」そのものを根底から書き換えてしまう変化です。
経済学の世界では、このような影響力を持つテクノロジーを「汎用目的技術(GPT:General Purpose Technology)」と呼びます。
GPTとは、特定の産業だけでなく、ありとあらゆる産業に適用可能で、時間の経過とともに性能が向上し続け、それを利用することでさらなるイノベーション(新しい技術やビジネス)を次々と生み出す、「技術の親玉」のような存在です。
その代表例として、私たちが日常的に恩恵を受けている「電気」と「インターネット」について考えてみましょう。
今、あなたが部屋の照明スイッチを入れるとき、「ああ、今まさに発電所から送電網を通って届いた電子が、フィラメントを加熱して光になっているのだな」と感動するでしょうか? おそらく、そんなことは微塵も意識しないはずです。暗くなればスイッチを入れる。それは考えるまでもない、反射的な行動です。
スマートフォンでSNSを見るとき、「TCP/IPプロトコルがパケットを交換し、世界中のサーバーを経由してこの画像が表示されている」と考えるでしょうか? 誰も考えません。
私たちは、電気やインターネットがなければ、一日たりとも今の生活を維持できません。経済活動も社会システムも、すべて停止してしまいます。それほどまでに重要で不可欠な技術であるにもかかわらず、それらはあまりにも当たり前の存在、すなわち「空気」のようなインフラになっています。
しかし、歴史の時計を少し巻き戻してみましょう。
エジソンが電球を灯したとき、それは人々にとって「魔法」でした。「夜なのに昼間のように明るい!」と、世界中が驚愕しました。
インターネットが登場した初期も同様です。それは一部の専門家だけが扱える魔法のツールであり、「サイバースペース」という未知の領域に接続できることに、人々は熱狂し、あるいは恐れました。「IT革命だ」「世界が変わる」と大騒ぎになったのです。
そして今、AI(人工知能)も同じ道を歩んでいます。
ChatGPTや画像生成AIの登場に、私たちは「魔法だ」「すごい時代になった」と驚き、連日のようにニュースで取り上げています。しかし、この「大騒ぎ」は、AIがまだ普及の初期段階にあることの証明に過ぎません。
時間の問題で、AIもまた「コモディティ(ありふれた日用品)」となります。
あと数年もすれば、私たちは「AIを使っている」という意識すら持たなくなるでしょう。文書作成ソフトを開けば勝手に下書きが用意され、会議をすれば自動で議事録が共有され、悩み事を呟けばスマホが最適なアドバイスを返してくれる。
その背後で高度なAIが動いていることなど、誰も気に留めなくなるのです。
さらに、マルチモーダルな対話的なインターフェースを介して相談すれば、こちらのやりたいことを理解し、いろいろなサービスを駆使して成果をあげてくれる時代も、遠からず訪れるでしょう。
ここで「マルチモーダル」とは、テキストだけでなく、音声、画像、動画など、複数の種類の情報を組み合わせて処理・理解できる能力のことです。人間同士が言葉だけでなく、表情や身振り、あるいは図解を交えてコミュニケーションするように、AIともより自然で直感的な対話が可能になるのです。
電気が「物理的な動力」のインフラとなり、インターネットが「情報の伝達」のインフラとなったように、AIは「知能と判断」のインフラになります。
AIが電気のように社会の隅々にまで行き渡り、息をするように当たり前に使われる。そんな「AI前提社会」が、もうすぐそこまで来ています。
歴史を変えたGPT:農業革命と産業革命
しかし、AIがもたらす変化の本質は、「電気のように便利になる」というレベルには留まりません。AIは、私たちのライフスタイルだけでなく、「人間とは何か」「社会はどうあるべきか」という根源的な定義さえも変えてしまう力を持っています。
そのインパクトの深さを理解するために、さらに歴史を遡り、人類のあり方を根本から変えた二つの巨大なGPT、「農業(植物の栽培)」と「蒸気機関」がもたらした変化を見てみましょう。
1. 農業革命:「贅沢」という罠と、社会システムの変質
約1万年前に始まった農業は、人類にとって最初の巨大なGPTでした。それまでの狩猟採集生活では、人類は自然の一部として、その日暮らしの移動生活を送っていました。しかし、植物の栽培という技術を手に入れたことで、人類は「定住」し、「余剰食糧」を蓄えることが可能になりました。
歴史家のユヴァル・ノア・ハラリは、著書『サピエンス全史』の中で、この変化を「歴史上最大級の詐欺」と呼び、次のように述べています。
「農業革命は、安楽に暮らせる新しい時代の到来を告げるにはほど遠く、農耕民は狩猟採集民よりも一般に困難で、満足度の低い生活を余儀なくされた。(中略)小麦はサピエンスに何をもたらしたのか? それは個々のサピエンスには何ももたらさなかった。だが、ホモ・サピエンスという種には何かをもたらした。小麦の栽培は、単位面積当たりの土地に住む人間の数を飛躍的に増やしたのだ」
(ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』より)
農業というテクノロジーは、人口爆発を引き起こしましたが、同時に「未来への不安(来年の収穫はどうなるか)」を生み出し、余剰食糧を管理するための「階級(支配者と被支配者)」や「国家」という巨大な社会システムを出現させました。私たちの思考様式は、「今ここ」を生きることから、「未来のために現在を犠牲にする(労働する)」ことへと根本的に変わってしまったのです。
2. 産業革命:蒸気機関と「時間」の支配
18世紀後半に始まった産業革命の引き金となった蒸気機関もまた、強力なGPTです。
それまで、生産の動力は人や動物の筋肉、あるいは風や水といった自然力に限られていました。しかし、蒸気機関は熱エネルギーを動力に変えることで、場所や天候に左右されず、24時間稼働し続ける工場を生み出しました。
この技術は、単に生産効率を上げただけではありません。工場の機械に合わせて人間が働くようになったことで、それまでの「太陽の動きに合わせた生活」は終わりを告げ、「時計の時間(9時〜5時)」に管理される生活が始まりました。
また、労働力を効率的に供給するために、教育システムは画一的なカリキュラムで「従順な労働者」を育成する形(学校教育)へと変わり、家族のあり方も、生産単位であった大家族から、都市労働に適した核家族へと変化しました。
AIは「何」を変えるのか:ホモ・デウスへの道
このように、真のGPTは、単に生活を便利にするだけでなく、「社会構造」「人間関係」、そして「人間の思考様式」そのものを不可逆的に変えてしまいます。
農業が私たちを「定住と階級社会」に縛り付け、蒸気機関が私たちを「時計と工場」に縛り付けたように、AIもまた、私たちを新しいルールの中に再配置しようとしています。
では、AIは何を変えるのでしょうか。
ハラリはその続編『ホモ・デウス』において、AIとバイオテクノロジーの融合がもたらす未来を、次のように予見しています。
「私たちは今、人間を神へとアップグレードする過程にあり、さらに、生化学的プロセスから意識を切り離す過程にある」
(ユヴァル・ノア・ハラリ『ホモ・デウス』より)
かつて蒸気機関が「肉体労働(筋肉)」の価値を無効化したように、AIは「知的労働(脳)」の価値を無効化しつつあります。
『ホモ・デウス』が警告するのは、知能(問題を解決する能力)と意識(痛みや喜びを感じる能力)の分離です。これまでは「知能が高い=人間として優れている」とされてきましたが、AIは「意識を持たないまま、人間を遥かに超える知能」を発揮します。
この歴史的事実と照らし合わせると、AIがもたらす変化の本質が見えてきます。
それは、「知能のコモディティ化(日用品化)」と、それに伴う「人間性の再定義」です。
電気やインターネットがそうであったように、AIもまた「魔法」から「当たり前のインフラ(空気)」になります。
今、私たちが「電気が使えること」を誇らないように、未来では「計算ができる」「記憶力がいい」「論理的思考ができる」といった能力は、AIというインフラを使えば誰でもできる当たり前のこととなり、人間の価値基準からは外れていくでしょう。
その時、社会はどうなるのか。
ハラリが危惧するように、AIという高度なアルゴリズムに生活のすべて(健康管理、パートナー選び、キャリア選択)を委ねる「データ至上主義」の社会が到来するかもしれません。そこでは、AIと融合し、自らをアップグレードできた一部の「超人(ホモ・デウス)」と、経済的・軍事的な価値を失った大多数の「無用者階級」という、かつての農業革命が生んだ王と農民以上の、生物学的な格差さえも生まれた新たな階級社会が出現するリスクがあります。
私たちは今、農業革命や産業革命に匹敵する、あるいはそれ以上の「人間そのものの定義」が変わる時代の入り口に立っているのです。
「知能のコスト」がゼロに近づく意味
この壮大な変化を経済的な視点で足元から見つめ直すと、その第一歩は「知能のコストが限りなくゼロに近づく」という現象として現れます。
経済思想家ジェレミー・リフキンは、その著書『限界費用ゼロ社会』の中で、IoT(モノのインターネット)の進展がもたらす劇的な未来を予見しました。 彼は、テクノロジーの進化により、モノやサービスを一つ追加で生産・提供するためのコスト(限界費用)が限りなくゼロに近づくと論じました。その結果、多くの財が無料同然となり、市場での売買を前提とした資本主義から、必要なものを必要な時に利用する「共有型経済(シェアリング・エコノミー)」へと社会システムが移行すると説いたのです。
リフキンがIoTに見出したこのトレンドを、さらに爆発的に加速させるのがAIです。 IoTが物理的な「モノ」の世界の限界費用を下げたのに対し、AIは「知能(知識・予測・判断)」の世界における限界費用をゼロに近づけるからです。
例えば、「翻訳」という知能作業を考えてみましょう。 かつて、英語の文書を日本語に翻訳するには、高い教育を受けた専門家を雇う必要がありました。翻訳には高いコストと時間がかかりました。しかし今、AI翻訳を使えば、コストはほぼゼロ、時間も一瞬です。 「プログラミング」も同様です。機能を実現するコードを書くには、専門的な訓練を受けたエンジニアの頭脳と時間(高コスト)が必要でした。しかし今、AIに指示すれば、数秒でコードが生成されます。 「医療診断」もそうです。レントゲン画像から病変を見つけるには、熟練した医師の目と経験が必要でしたが、AIは数万枚の画像を学習し、人間以上の精度で、一瞬で異常を検知します。
これまで、人間が高い給料をもらって行っていた「知的生産活動」の多くが、電気代程度のコストで、しかも一瞬で実行できるようになる。これが「知能のコストがゼロになる」という意味です。
リフキンの予見した「共有型経済」は、AIによって知的領域にも及びます。 高度な知能や専門知識は、もはや一部の専門家が独占する「所有物」ではなく、誰もが安価にアクセスできる「共有財(コモンズ)」となるのです。
ここで、昨日の記事で触れた「スキルが差別化の対象にはならない」という話に繋がります。
希少価値があり、手に入れるのが難しいもの(高コストなもの)を持っているからこそ、それは「武器」になり得ます。 「英語ができる」「プログラミングができる」「正確な事務処理ができる」。これらはかつて、習得にコストがかかる貴重な能力でした。だからこそ、そのスキルを持っている人は高く評価され、高給を得ることができたのです。
しかし、AIというGPTの普及によって、これらの「知能タスク」は水道の水のように、ひねれば誰でも安価に手に入るものになります。 誰もが安く手に入れられるものを「私は持っています!」とアピールしても、それはもはや差別化にはなりません。「私は電気が使えます!」と履歴書に書く人がいないのと同じです。
AI前提社会において、かつての「知的エリート」たちが独占していたスキルの価値は暴落します。 その代わりに価値を持つのは、安価で潤沢になった「知能(AI)」という資源を使って、「誰のために、どんな新しい価値を創造するか」を構想し、実行する力です。
電気が安くなったことで、洗濯板で洗う技術の価値はなくなりましたが、「清潔な服を毎日着たい」というニーズに応えるクリーニング店やファッション産業という新しいビジネスが生まれました。 音楽産業も同様です。かつてはレコードやCDといった「物理メディアを販売する」ことがビジネスモデルの中心でしたが、インターネットとストリーミング技術の普及により、「アクセス権を提供する」サービスへと変貌しました。だからと言って、音楽そのものの価値や魅力がなくなったわけではありません。むしろ、いつでもどこでも膨大な楽曲にアクセスできるようになり、楽しみ方は多様化し、その適用範囲は以前よりも遥かに拡大しました。 同じように、知能のコストがゼロになることで、私たちは面倒な「知的力仕事」から解放され、より人間的で、創造的で、本質的な課題解決に向き合うことができるようになるのです。
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AI前提の世の中になろうとしている今、SIビジネスもまたAI前提に舵を切らなくてはなりません。しかし、どこに向かって、どのように舵を切ればいいのでしょうか。
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