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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

Miss AI コンテストが気持ち悪いんです

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生成AIの世界で動画や静止画を生成させる話は随分前からありましたし、たとえばネットで流れてくる謎の広告枠で広告内容とは無関係にニッコリわらってる人物がAIで生成された顔というのはもう普通にあるわけですが、遂に... というかやっぱりAIで生成された映像や画像を審査の対象にした「Miss AI Contest」が開催されたという報道を目にしてしまいました。

これ、もちろん技術的にどうのという話はもちろんわかるんですが、個人的なお気持ちとして正直気持ち悪いなぁとしか思えません。

たとえば育成系ゲームとか全く関心がなくバーチャルな何かを育てて愛でるという行動がほとんど理解出来ない自分的には、気持ち悪さしか無いんです。
ひと様の趣味嗜好にとやかく言う筋合いなどありませが、個人的には気持ち悪いんです。

あくまでも個人的なお気持ちですが。

昔からいろんなフェイク映像や画像は存在していましたが

写真は眼の前のものをありのままに残す鏡のようなものであるという言い方がされてきた部分はあります。
ただし実際にはトリミングやレタッチといった方法を始め、いろんな写真がいろんな目的と方法で手を入れられてきたのも事実ですし、完成品につけられたコメントなどが映像や画像を作成した人の意図とは違う方向で世に放たれたことも幾らでもあります。ただし、その多くが曲りなりにも何かの被写体を誰かがなにかの意図をもって撮影した素材があっての話がほとんどだったのが今までも世界だったと思います。

そういえば生成AIがいきなり世に出る直前に既に成立し始めていたのがDeep Fake映像や画像の世界。この話を掘ると色々危ない話になりますが、誰かの顔を他人の映像に載せてあたかもその人が何かをしているように見せたり、更には喋っても居ない話を映像上でさせて何らかのプロパガンダに利用したりとか、性善説では何も解決できない世界は既に存在してしまっています。

それに対して生成AIで生成した映像や画像は、生成したソフトウェアに誰かが何かの元になるデータを山のように食わせたうえで、更に誰かが何かの意図を持っ生成させたもので、中には物理的に誰か風みたいなのとか雛形にした素材がある程度判ってしまい版権や著作権で揉めるようなケースもありますが、一応の基本的な理解として「無いものを描いた」ような理解が多い気がします。

でも、まだ良いです。その時点では。
ただ、AI生成された非実在アイドルをあたかも実在の存在のように愛でるのと同じで、そこで描かせた映像や画像の内容を愛でてコンテストまで開くというのが、個人的にはどうしても気持ち悪いんです。

なお、それとは別次元で生成AIそれ自体がいろんな意図や思惑や思想信条を元にした色々なプロパガンダで利用されていくのは間違いないし、その部分でいうと性善説ではなく性悪説をベースに生成AIが生成するであろう文字情報や映像や画像に接していかなくては行けない時代だとは思うのですが、その話は重いので、ちょっとまた別の機会にでも触れようと思います。

必要な「フェイク」もあるんですが

たとえば乳児幼児用の粉ミルクや紙おむつのパッケージや店頭POPにある人物の顔ですが、これって実は実在しない顔だというのは割と知られている話かもしれません。要は誰か個人を特定できるようなものだと当該人物の親兄弟含め命の危険まで含めた安全上問題が出たりするケースが考えられるため、昔から複数の人物の顔のパーツを合成して作られた特定の誰かではない人物の顔が使われています。CM映像の場合には合成が簡単ではないので実在の人物が出てくるとは思いますが、手元でじっと見ることが出来る商品パッケージについては以前からそういう対応がされていると聞いたことがあります。
これは必要だからそういう形になるもので、言い方はアレですが、悪意はどこにも無く必要性に誰も異論がない「正しいフェイク」。

なお商業写真の世界では「もはや絵画でしょ」と言われるほどレタッチされた写真が色んなところで使われるのも昔からあります。ただしこれも伝えたいことを伝えるためにどうすればよいかを追求する話の延長であって、そこに本質的な虚偽がなければ許される世界だと思っています。

なお報道の世界でトリミングの仕方によってニュートラルな風景に恣意的な悪意が入り込むケースとかあったりしますが、これはまた別の話。ただしそれとて当該素材を使う人の意図があるので、それを単純に悪意ととるか整理された映像・画像ととるかも別の話だと思っています。

まぁそれはともかく、必要な「フェイク」があるのは理解しています。
これとて時々言いようのない違和感が拭えないケースとかありますけど、まぁそれは良いです。悪意はありませんから。

そしてMiss AI Contestに見てしまう不気味の谷

見かけたのはCNNの The first Miss AI has been crowned -- and she's a Moroccan lifestyle influencer という記事。英語なのですが、乱暴に言うと初めてAI生成画像によるミスコンが開催されてインスタのフォロワー20万人を誇るモロッコのライフスタイル・インフルエンサーが作った "Miss AI" が優勝しましたよという話です。

CNN AI Generated caption.PNG

ぱっと見た目は確かにコンテストで勝てるくらいきれいな仕上がりです。少なくとも静止画で見る限り写真と見紛うばかりの作品です。でも、実在しないんですよね。アニメのキャラクターのレベルなら最初から作り物だと判ってて全然違和感無いんですけれど、実在に寄せた非実在を作って競うって何だかよくわからないんです。

半ば悪意をもってまとめると「実在しないキャラクターを作り、動かし、それを愛でつつコンテストに「出場」させ、それを誰かが審査してポイントをつけて順位を決める」という流れですよね。
うーん。
繰り返しになりますが、ひと様の趣味嗜好にとやかく言う筋合いなどありませが、個人的には気持ち悪いんです。

実写に拘る必要はないけれど、そこにいるのが生身の人間であってほしいところでは生身の人間が居てほしい

同じような流れで映画がSFXだらけになっているのは時代の趨勢として仕方ないのですが、こちらは少なくとも今は生成AIは使い物にはならないので制作過程は色々あるにせよ人間が直接関与するCGの世界だと理解しています。

で、それ自体はエンターテイメント作品として作り上げるうえでの映像制作技法としては全然アリだと思いつつも、たとえば公開が始まったときの舞台挨拶で「この怪獣って撮影現場では見たことがないんですよね」とか「こんな大軍の前に立ってたんですね」みたいな話をしてるわけで、確かに実際にはほとんどグリーンバックの前での演技とCGを合わせて作品を作っているわけですからそうですねと理解出来るんですが... まぁそういう時代ですよね。

たとえばクリエイターが自分で書こうが生成AIが出力しようが実在しないキャラクターであるのは変わりないのですが、生成AIの出力だけにフォーカスしたコンテストって... 
でも今後は増えるんでしょうね。それが制作者の表現方法の1つだと思えばわからなくもないのですが。

因みにその一方で例えばYOASOBIさんの「アイドル」の世界観は理解出来るんですよね。アニメの主題歌であることやYOASOBIさんの曲の作り方や取り組み方をある程度理解してるからというのもあるんですけれど、生成AIミスコンの誰もが目を奪われていく完璧で究極のアイドルを目指すような不気味な世界と違って、ちゃんと人間が人間のために作ったアニメの世界の歌という感じがするんですよ。
正直安心するんです。

まぁそこをとやかく言われても仕方ないのですけれど。

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