オルタナティブ・ブログ > THE SHOW MUST GO ON >

通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

ネットワーキングの世界での ping はピングなのかピンなのかという古くて新しくて、でも実はどうでも良い話

»

日本語には外来語の読みを日本語として表記するための文字としてカタカナがあります。元は大陸から伝わった経典の読みを特定するために生まれた「そもそもはフリガナ」という素性を持っているものと言う説を私は信じているのですが、諸説あるにせよ外来語の発音を日本語として取りいれるための文字というのは間違いないと思っています。

そしてカナ自体に、というか言語としての日本語に合わせるためにはカナで記した時点で原語とは異なる発音が生まれるのは当たり前だし、そもそも元の言語によっては母音の数が違って簡単に日本語表記への置き換えができないケースも多々あるのはよく知られた事実です。
ここ、大事だと思っています。

大事なのは「カナ表記をしてる時点でそれは日本語である」という理解だと思ってます。

ネットワーク用語としての ping を「ピング」や「ピン」と書けばそれは既に日本語

なんか久しぶりに眼の前を流れきたのが、この「[ping を日本語としてどうと呼ぶか」というお題。

TCP/IPのなかのICMP (Internet Control Message Protocol) のコマンドとして死活確認をしたいIPアドレスを打ち込んで相手からの反応を見るのが ping コマンド。多くの方がご存知だと思うある非常に基本的なコマンドですが、その挙動や意味についてはまぁ良いです。今の目の前にあるのはそのコマンドをなんと呼ぶかという古くて新しい問題なので。

ちなみに私自身は思い起こせばIPネットワークの敷設やデモに関わるようになった1987年頃からずっと基本的に「ピング」と呼んでいます。とはいえ思うところがあって特に1990年代半ばまでは「ピン」と言うほうが多かった記憶があるんですが、その後は「ピング」と呼ぶ人の方が周囲に多かったこともあって今では基本「ピング」と言っています。あくまで日本語での会話の中であれば。

その一方、英語での会話のなかであれば敢えてカタカナで書くと「ピン(グ)」、発音記号表記で書くと pɪŋ という発音をしています。グがンに潜って殆ど聞こえない感じといえば良いのかもしれません。でもそれは英語としてpingという単語を読んでいるからであって、カタカナ表記の日本語、あるいは日本語で話をしている中で出てくる英単語 ping の発音とは明確に違います。

実はこう呼べというのは誰も決めていないので、通じる呼び方読み方で良いと思ってます

例えば英語を自分のネイティブな言語として話す人ではない私。当然ですが日本語の会話のなかで出てくる英単語をNativeの発音で混ぜられるほどの能力はありません。そして日本語で話をするときと英語で話をするときは基本的に頭の中を全部切り替えてます。状況として日本語と英語を混ぜざるを得ないこともありますけれど、一応すごく意識しています。ということで、日本語で話す時は頭の中も口から出てくる単語類も基本は「日本語」の範疇です。

更に言うと、実は今の私の周辺の日本語話者の場合は母国語を問わず日本語で喋る場合にたとえば ping の場合には「ピング」で通じる人が殆どです。実際には日本語として「ピン」と言われてる方も居るのは居るんですが、少なくとも私がこれまで経験した場に於いてはどちらかというとマイナーな存在だったかもしれません。

ただし、英語以外の母国語を持つ方々の間でのご自身の母国語での会話だとそれぞれ状況が違う事もあるようです。これはその技術的な単語や用語を例えば英語のまま取り入れているのか、あるいは日本語のように何かしら書き換えや翻訳のステップを踏むケースを経ているのか等によるんじゃないかと思っています。言い換えると言語それぞれが ①外来語を比較的丸呑みしてるケースと ②自国言語なりの解釈を経ている という二つのケースが混在しているのは普通なんじゃないかとは思います。

ただし外来語を表現するための文字を自国語に持つ言語は世界中で日本語以外には存在しないこともあり、それぞれの言語においては日本語上での理解とはニュアンスが違う気がします。学者でもなんでもない私自身はその話題を詳しく掘り下げた訳では無いのですが、ちょっとそんな気はしています。

どうせその言語のネイティブな発音はできないんだから、という自分自身への理解

なお、それでもアメリカやオーストラリアの方とネットワーク運用と障害対応について話をしているときに勢いで「ピング」とガチにカタカタ発音しても通じた経験はありました。結果、何か拘らなくてもような通じれば良いやって思ったのも事実。そもそも私の話す英語自体が完全に日本語の影響を受けた発音だし、相手もそれをわかっているので、現実問題としてはお互い文脈でわかっていて誤解がなければ良んだよというのを体感した経験でした。

なお会話する相手の方の母国語が外国語を話す上での訛に強く影響するのは当然なのですが、今でも一般論として仕事上比較的よく接する方々の中で母国語による一定の訛にどうしても慣れきれない問題はあったりします。なにかの言語を卑下するとかそういうのとは全く違う話で、でも「いやー、この国の皆さんってめちゃめちゃ仕事できるんだけど何言ってるか最初はわかんないんだよな」ってのがどうしても。もちろんその前提として自分の英語という言語での意思疎通能力の問題だというのは重々承知なのですが。

ただし、そんな私の事情とは関係なく各論出るのは昔から変わらず。
別に決着をつける必要は無い話とは思っていますが。

Comment(0)