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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

勤め上げての定年ってすごいなと素直に思う気持ち

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年齢的に既に還暦を過ぎているけれど一応組織の中でフルタイムで働いている私なんですが、自分と同じくらいの年代の知人から「退職しました」という連絡が来ることが増えました。

企業や何らかの組織で働いてる立場であっても世の中的に、そして自分の周囲の皆様でも一定の数の方が企業や組織の多くで規定されていると思われる60歳ピッタリで定年退職するのではなく早期退職のケースもあります。あるいは仕組みとして用意されている嘱託などを含めた雇用延長の仕組みを利用している方もいらっしゃる関係で年齢は一様ではないのですが、それでも何らかの区切りをもってそれまでの所属企業や組織を退職するタイミングで主にSNSで「卒業です」という連絡をされているのに触れることが多くなりました。

そこは素直にお疲れ様でしたという気持ちになります。
そんな私はいろいろあって60を過ぎてから広義の通信業界というところは軸にしながらも河岸を変えて今でも普通にフルタイムで働いているのですが、自分がどこまで長生きできるのか或いはするのかというところを念頭に置きつつ、自分がどこまで働きたいのか働けるのか、どこまでどなたのお役に立てるのか、そして手元の貯金と年金の受取額が気になって仕方がないいっぱしの年寄となってるのを実感する日々ではあります。

形として「一社を勤め上げる」事がそもそも念頭になかった自分を振り返ってみる

あくまでも個人的に、ですが、時々触れることのある「一社を勤め上げての退職のお知らせ」って、やっぱりすごいなと思うんです。
本当に素直にすごいなと思ってます。
自分にはできなかったし。

もちろんそこにはいろんな理由と経緯と社会情勢と自分の責任があるので良し悪しではないとは思っていますが。

そんな私、全部が自責とは言わないけど、そして純粋な転職は2回なのですが、そうじゃないのを含め2回の出向を含めると9個目の所属会社という今に至る歴史を背負う自分的には、素直にやっぱりすごいなーと思うんです。

思い起こせば私には最初から「一社で勤め上げる」という気が全くなかった

そもそも学校を出て最初に就職したのが外資だったこと、そして親戚に1980年代に既に外資企業を何社か渡り歩いているような人がいて色々と話を聞いていた事もあって、「定年まで此処に居ることは無いんだろうな」と新卒入社の時点から思ってたのは事実です。更に言うと業界に限らず外資企業勤めの人の中にも会議室に呼ばれたらその場でFireされたとかある朝突然「日本から撤退するね今日までありがとう」とか言われて路頭に迷いそうになった人が割と身近に継続的に出ていたこともあって明日は我が身みたいな気持ちも強くなったのは事実ですけれど。

そういえばここ数年でも「勤め上げる意識がない」という新入社員が多いという話はよく聞きますが、ひょっとしたら私が就職した1980年代半ばとかだと珍しかったかもしれません。いや、もちろん、最初の会社にはそこにいないとできなかった色々な経験をさせてもらったし、そのころ身体で覚えたことが今に生きてることを日々実感している事もあって感謝はしています。それは偽らざる本音です。但し退職に至る流れの中で今でも会ったら殴りたい人もいたりしますが、まぁそれはそれ。

それも含めて経緯は自分が一番よく知っていますから今更何を後悔しても仕方ないのですけれど、同じ人生の2周めができるなら「あそこでああいう風にしとけばこうなったかもな」ってのは少しはあります。それは事実。おかげでバカリズムさんが脚本を書いたテレビドラマ「ブラッシュアップライフ」って良いなぁと思ったのは素直な気持ちです。

その時点での所属組織に対するロイヤルティが相対的に低い事が多いという、組織にとって面倒くさい思考を持っている自覚

それはともかく、どんな組織のどこの所属であっても結局その組織の保守本流には乗らず乗れず特殊部隊とか傭兵といった単なる傍流でずっとやってきたのは事実だったりします。職務に対しての情熱とか前向きな姿勢というのは持ち続けているつもりです。ただ、「組織一丸となって頑張るぞ!」と鉢巻き姿で全員が前に走っていくという姿勢が見えてしまうと、どうしても引いてしまうことがありました。

ただし、それに近い感情を持ったことがゼロではないです。しかし実際のところ、自分の経験した中のごく少数の組織を除いて組織自体への強いロイヤルティを認識したことは実はありませんでした。ある意味ビジネスライクに「プロフェッショナルとしての仕事ですから」という気持ちと、それとは別の意味で何らかのコミュニティに心底入り込むというところで恐怖を感じるという小学校以来の自分の面倒くさい思考が影響しているのは自分でわかっているのですが、結果的に「組織の中でしか生きられないけれど、組織と一緒に生きることはできない面倒くさい奴」ってのだけは一貫してる感じです。

実に面倒くさい奴という自覚はあります。
ま、それぞれだよね、と思うことにしてるんですけどね。

ごく身近な存在としての「一社に勤め上げて引退した父」という存在

そういえば自分の父親は一社にたしか都合45年近く勤めてたと記憶しています。正確に言うと最後の6年くらいは監査役とかやっていたので会社法上の従業員としては40年弱だったと記憶しているのですけれど、年代的に自分の意思での転職があまり一般的ではなかった昭和一桁生まれだったし、大卒で就職したのは朝鮮戦争直後の大不況の時代だったという時代背景も背負っていたし、最後は勤務先の職務の都合で辞めるに辞めれなくなって60台後半に差し掛かるまで常勤だったはずです。

もちろん息子なりに事情は理解していましたし、就職の時にも日に影にサポートしてくれていたし、本人として大変なことがいっぱいあったのもそれなりに知っていましたし、だからこそ本当に凄いと思っていました。なので私が色んな事情で40前に最初に転職することになったときは帰省して報告しました。別に怒られるとかそういうのはなくて「頑張れよ」とだけ言ってもらえたのですけれど、自分の動きについて報告をしていた方が良いなと思った時代の人でしたし、実際暖かく見守ってくれていました。

そんな父親も、鬼籍に入ってからもう10年近くになるでしょうか。

経験に飽和点はない... はず

元々管理職志向などなかった私は、何故か奇跡的に今でも活かせる過去30年以上の技術的背景の蓄積のおかげで何度か河岸を変えつつも相変わらず現場の第一線でのたうち回れているのですが、さて、どこまで走り続けられるのか。まさか20代前半の1980年代末に頭にVM入れてゲストのMVSを最大で4本自動運用させるデモセンターのメインフレームのシステムを独りで運用しつつ、裏切者とか言われながらも日本で誰もやっていないメインフレームのネットワークとUNIXのワークステーションを何台もぶら下げたTCP/IPのネットワークの統合デモとかやっていた時代以降の経験が今に活きるなんて、やってる時は考えもしなかったんですよね。

internet商用開放前に例えば生のNSFnetとかMILnet上のGWやいくつかのサーバーのログイン画面を見せたり、立場上比較的入るのは楽だったBitnetのホスト選択画面を出すデモをやってたなんて誰も信じてもらえないですから。最早インターネット老人会どころかインターネット考古学の世界。

思えば遠くへ来たもんです。

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