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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

東京のパンは不味いのか論争と自分にとっての旨いパンとの出会いのお話

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ふとネット上で目にした「神戸から来た自分にとって東京のパンは不味い(意訳)」論。
かれこれ40年前に関西から就職で上京し横浜に住み都内を中心に仕事している私自身、パンは結構な頻度で食べますけど旨いかどうかについて実はあまり深くは追及していません。とは言え実家のある神戸には「普通に旨い街角のパン屋さん」が結構存在しているのは事実だとは思っています。そして自分の行動範囲限定とはいえ、東京から神奈川にかけての一帯で「ここは旨いわ」としみじみ思うパン屋に殆ど巡り合っていないという個人的な不幸がそこにあるのも正直な話ではあります。勿論自分の行動範囲や行動する時間帯等々の問題も大きいのは理解していますけれど。

朝は食パンという生活の原体験

実は山口県の下関に住んでいた母方の祖父、明治生まれでしたが朝食は絶対にバターとジャムを塗った食パンという人でした。外航船の船員をやっていたり戦前の満州で色々仕事をしていたらしく、そのころから朝は食パンというのが自身の生活のなかでの基本となっていたようです。親の転勤でたまたま小学校から中学校にかけて3年ほど下関に住んだことがあり、そのころ割と頻繁に母親の実家に遊びに行っていました。勿論それ以前もパンは自宅給食その他含め食べていましたが、父親が基本的に「米と味噌汁が無いと元気が出ない」という昭和一桁の人だったので、毎朝食パンという生活はものすごく新鮮に見えた記憶があります。

なんとハイカラな明治生まれのお爺ちゃんなんだ(笑)という驚きですね。

その頃食べていた食パンを祖母がどこで買っていたのかは流石に知りません。ただ明治のころから大陸との交易の一大窓口であった下関の1970年代、下関駅近くの江戸末期には繁華街となっていた通りの中にあった実家の近くに多分パン屋さんがあったんだと思います。ただしその「商店街」は今は既に商店街といった風情は全く無くなった車のすれ違いも出来ない細い裏通りなんですけど、幕末に奇兵隊に寄付しすぎて所帯をつぶした豪商の記念碑があるとか、まぁそんなところでした。
あぁ、懐かしい。

旨いパンが何時でもそこにある神戸の風景

因みに結婚するまでずっと神戸で生まれ育ったカミさんと親の転勤の中で正味3年間だけ神戸に住んだ自分とでは「神戸のパン屋」あるいは「神戸のパン食文化」についてかなり大きな認識の差があって、まぁそこに関して私に勝ち目は全くないんですが、旨いパン屋が神戸に一杯ある事実は身体が覚えています。生前のビゴさんのところや、まだパンを一杯焼いてたフロインドリーブあたりは勿論当時から知っていましたけれど、それ以外の普通のそこら辺のパン屋さんでも旨いところは昔から確かにありました。

チェーン展開してないそこらへんのパン屋さん。
それが今でも普通にそこら中に。

旨いパンを意識した自分の原体験

でもってこのあたりの感覚は30年前に行ったパリとかニースとかで感じたものと通じるところがある... とか言いだすと「そんなん知らんがな」と言われるんですけど、いや実際30年前に仕事で単独で延べ数週間いたフランスのパン屋は何処で買っても旨かったんでよ。
これは本当に良く覚えています。

ただしそれらは本当に純粋にフランスの街角のパン屋。たとえばふっくら焼きあがる食パンとかは存在しない世界で、たとえば議論になっていたように「そこに神戸のパン屋とタメを張る旨いパン屋が多いかどうか」といった相対比較のうえでの評価表現は出来ません。そこはあくまで「パリの街中のパン屋は旨かった」という独立した絶対軸評価での表現でしかないんです。
でも、ほんと旨かった。

バゲットとかクロワッサンとかエピとかシャンピニオンとかもうなんでも旨かったんですけど、例えば20センチくらいの輪切りバゲットを縦に開いて具材詰め込んだローストビーフサンドとか旨いけれど顎が滅茶滅茶鍛えられるからワインで流し込まなきゃ食えんかったとかの意味不明に自虐的なところも含めて旨かったんですね。これはもう麦と水と塩と気温と湿度と職人さんの腕と窯と売り場の並べ方と... って全部日本と違うじゃんと言われたらまぁそれまでなんですけど。

結局食い物は何に馴染んでるかっていうのが大きい訳ですが

結局のところ、人間誰しも自分的に旨いとはそれ自体の味だけじゃなく食ってる場の状況や環境、更には生まれ育ったその場所の空気まで含めてのお話になることが多いんですよね。これはもう仕方ない。
ということでそれを踏まえての「東京(あるいは広義の東京経済圏)のパンは旨いか話」ですが、例えば今住んでる横浜北部に旨いパン屋はないかと言うと、いや、あります。実際あります。神戸出身のカミさんも「ここ美味しい」と言うパン屋さんはあります。中には「どれ食べても旨い」というよりも「この店のこのパンは旨い」くらい絞られるケースもあるんですけど。

ただしそういったストリートの地元のパン屋であってもやっぱり単価は高いなと思うことが少なくないのも事実。
それは地代とか何とか色々絡むので一概にそれがどうよと言い辛いのですが、単純に単価として高いなぁと思うところがあるのは事実。まぁそれとて自分の収入とリンクした話であって、でも全国展開した1斤1000円の「高級食パン」のチェーンが経営的に苦しんでいるという話もあって、やっぱり毎日食べるモノとして考えたときに市場全体の中での適正価格ってのはあるよねとは思ってます。

でも色々あっても比較的近い範囲の中で自分が食って旨いと思うパンはあるので、それはそれで幸せだとは思っています。

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