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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

通信サービスとしてのPHSが遂に全サービス終了するにあたって思う事

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既に2020年7月をもって一般向けの公衆通信サービスとしてのPHSは終了していますが、その時点では継続してサービスを提供してきた法人向けテレメタリングがこのエントリーを書いている2023年3月30日の翌日、3月31日をもって停波します。

日本で生まれた通信規格であるPHSの終了です。

実はもともと今でいうIT業界で飯を食ってた私が通信事業者に転じたのは2005年、社名がDDI Pocketから変わったばかりのWILLCOMでした。このWILLCOM自体もその後の紆余曲折を経て現Softbank K.K. の一部になっているわけですが、実は色々先に行き過ぎていて時代が後から追いついてきた諸々があって、少なくともWILLCOM時代には「中の人」としていろんな物を見てきた自分として転職当初から「早晩今の形のPHSはサービスを続けられなくなる」という話は知りつつも身を投じた流れが終わるのは、やっぱり寂しいものです。

実は日本で最初にスマートフォンを名乗ったのはW-ZERO3だった

これは覚えてる人は覚えてる話だと思うのですが、実は日本で最初にスマートフォンを名乗ったのはWILLCOMのPHSを使うSharpのW-ZERO3 でした。私がWILLCOMに入社したのが2005年の12月1日、そしてその直後に「実はこんなの出るんだよ」と教えられた最初のW-ZERO3 WS003SHの発表が12月14日。

まぁ驚きました。

単純にその時の気持ちを言葉にすると「うわぁまじかそんな端末を出すのか」なんですが、今だから書いちゃいますけれど、最初に勤めた会社でウルトラマンPCというのを出していた事があってですね、色々話題をさらってですね、話題だけしかさらえなくて大変な状況がずっと続いた経緯を私ですら知っていてですね... 更にそれに多少なりとも関わらざるを得なかった関係者が色々理由があって比較的大勢そろっていた当時のWILLCOMの中にW-ZERO3プロジェクトが存在していたんだという驚きが殆ど全てでした。

それ以上細かくは御幣があるので書けませんが、とりあえず出た当初は持ってる人があちらこちらでキーボードをカシャカシャと出したり引っ込めたりしてやりすぎて壊したりとか色々ありつつ、私自身も色々理由があってW-ZERO3[es] やAdvanced/W-ZERO3[es]は使ってました。

まぁそれも2007年にAppleのiPhoneが発売されて色々かき消されてしまったんですけれど、とりあえずPHSを取り巻く思い出の一つです。

実は多分私は今のところは日本の歴史上最後の「日本発の通信規格のマーケティング担当者」説

これは既に消滅した組織における過去の話なのですが、2008年頃から2010年頃にかけて実は私、SoftbankがサービスしているA-XGP(SoftBank 4G)規格の前身となるXGPのマーケティングを担当していました。
当初次世代PHSと言っていたもので、上り下りの速度が規格上同じとか、やっと5Gの世界で一般的に使われるようになってきたけれど実はWILLCOM/DDI PocketのPHSはずっと使っていたアダプティブアレイやビームフォーミングを最初から実装していたとか、64QAMを商用機向けに多分世界で最初に実装して、当時の3GでDownloadですら頑張って128Kbpsとか256Kbpsの時代にDownload / Uploadとも10Mbpsとか20Mbpsを平気で出すデモを私自身が当時の虎ノ門本社の2階に作ったデモルームで国内外の政府関係者や通信事業者向けにプレゼンとセットで見せて絶句させまくってたとか、なんかそんなことをやってましたね。

次世代PHSという名称のあの規格、規格そのものや実装もPHSの経験がフルフルに生かされたものでしたが、その後のWILLCOMのドタバタから色々あって今のA-XGPへと規格の中身が変わり、私もマーケティングの役割から外れてしまっていまだに紆余曲折の中にいるんですが、これもPHSを取り巻く思い出の一つです。

最後はWILLCOM / Softbankが単独でサービスしていた、自分にとっては顔の見えるサービスでした

色々あってSoftbankの提供する通信サービスに看板を変え、その後時代の流れの中でサービスを停止する流れとなって今に至るんですが、実は2005年に私がWILLCOMに入った時点で既に「PHSは今の形ではそれほど永らえることは出来ない」というのは聞いていましたし、実際中の人になって色々技術的なことやらなんやらが解ってくると「正常進化がなにかわからないけれど、サービスの根幹を変えていかないと先が無いぞ」というのは理解できました。

規格自体の陳腐化や無線設備の問題、バックホールのISDNをメインに使っていた有線区間の問題(これはISDNのサービスの限界から高速化や長寿命化のため光化を強烈に進めていましたけど)等々色々山積みだったのは事実でした。ただ、単一事業者が単独で特定の通信規格のサービスを提供するという恐らく今後は成立しないであろう事業形態のなかで多くの関係者の顔や名前が解っていたという、自分にとってはサービス自体やサービスを提供する事業そのものの顔が見えているようなサービスでしたが、これもPHSを取り巻く思い出の一つです。

そして本当にPHSが終わる2023年3月末日

公衆サービスとして最後に残ったテレメタリングのサービスが終わって、これで本当に通信サービスとしてのPHSが終わることになります。
サービスが終わる直接の理由と背景、そしてここまでの経緯を一応それなりに知っている身としては最早それを残念だとは思わないのですが、でも何だか思い出が本当に思い出になるという珍しい体験をしている2023年3月30日。

そして、きっとこれもPHSを取り巻く思い出の一つになるんだと思っています。

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