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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

チームワークを学んだのは大学時代のオーケストラだった

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お前が?とか言われることが昔からよくあるのですが、実は大学の4年間は通っていた大学の交響楽団で活動していました。文化会交響楽団。何かの時には学校の看板を背負う立場。私自身が所属していたのは1981年から85年の間。よくよく考えたらもう40年前。思えば遠くにきたもんだ。

なんでそんな昔話を?

いや、N響アワーでドボルザークの新世界をやってるんですよ。2楽章は有名な「遠き山に日は落ちて」の例の曲です。で、実はこの曲、団の幹部やってた3回生(すいません。関西なもので)のサマーコンサートで(今の団のそのあたりのやり方は知らないのですが)当時は各パートのトップは3回生がやる流れだったんですがその時は自分がコントラバスのトップやってたんです。

自分の不甲斐なさとか何も分かってない度合いのひどさから色々あって各方面にとても多くの迷惑をかけてしまったのを未だに反省し続けているのですが、まぁある意味死ぬまで反省するしかないんだろうなとも思ってます。逆に言うとそれくらい自分の人生の中で色々学べたのは事実です。

チームワークを目配せで確認し、その時のお互いの役割を理解し、そして本番での鳥肌

その「遠き山に日は落ちて」の2楽章。その終わり間近。弦楽器だけになり、弦五部(1stバイオリン、2ndバイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバス)のトップだけになり、1stバイオリン+ビオラ+チェロのトップの三人だけになり、そして弦5部全体が入ってきて... という展開の部分があるんです。ここ、さすがにめちゃめちゃ緊張して、でも途中で消えるコントラバスが何を言ってるんだという話もあるかと思うんですが、でもパートトップだけになった数小節で鳥肌が立ち、そのあと1stバイオリン+ビオラ+チェロの三人に任せたときに残った三人の顔を見て泣きそうになり、そしてそのあとに弦全体と木管でドーンと出ていく時にコンマスと目が合ってもう一度鳥肌が立つ流れ。今でも本当にリアルに思い出せるんですよ。

役割を決めてるのは作曲者。その役割は譜面に全部書いてある。学生の団員としては基本的に指揮者の指示通り譜面通りに弾けばいいだけの話ですが、やっぱりステージの上でそれを演奏してる立場として「あーこういう事なんだ」っていうのを何だかわかったようなわかっていないような。でも、その場にいた自分は嬉しかったです。解釈が違うでしょとか、そもそも何考えてるんだよとか色々あるとは思います。でも自分がなにか感じた、それだけは間違いない。

向き不向きと持って生まれた役割という運命論って何なんだろう

昔から楽器による性格の違いみたいなのはよく話をしてました。バイオリン弾いてる人はやっぱりバイオリンっぽいし、トランペットはトランペットっぽいし、チェロはチェロっぽいし、トロンボーンはトロンボーンっぽい。そしてコントラバスはやっぱりコントラバスっぽい気がするんです。勿論諸説あるとは思いますが、少なくとも自分の周りにはそう考えても余り間違いじゃない人が多かったんですよ。

で、実際自分的には今でもコントラバスっていうかベースっぽいんだと思っています。バイオリンやギターあるいはトランペットみたいに徹頭徹尾積極的に前に出るのはあまり好きじゃない。けれど押してよければ前に押し出したくなる。なんやかんや言いながら「俺はここに居るんだよ居ないと場が持たねぇだろだから四の五の言うな」みたいな根拠不明な自信を内に秘めて不完全燃焼起こしてるみたいな。

あ、不完全燃焼起こしているのは自分の問題で、コントラバスやベース弾いてる人がみんなそんなだという話じゃないので念のため。そこはあくまで何かをこじらせた私の問題なので。

それって今の自分の身の回りの環境に何か関係あるの?

実は楽器自体、特にコントラバスは大学を卒業してから弾く機会が無くなってしまったため単なる昔話になってしまったのですが、何等かの組織の中で向き不向きを含めた役割ってあるよねと思い知ること自体は結構あります。

今でもあります。

ただ少なくとも自分が所属してきた組織ではスペシャリストではなくジェネラリスト的な役割を常に求められ、また当該組織の中で求められるジェネラリストとしての役割をきちんと果たせる人が偉くなり、そこでうまく立ち回れなかった人は(私を含めて)組織を離れたり放り出されたり(それ私)と言うところを随分見てきたのは事実です。

食っていくために、と言うと身も蓋もないですが

でも、やっぱり向き不向きとはあると思うんですよね。
本人が意識してる中での好き嫌いとは別次元で。
その意味で自分的に今の役割(通信事業者の中での商用無線とは異なる部分での無線機器の保守などなど)というのが合ってると自分で思えていて、それを60を超えてしまったのけれど単純に定年退職すると食えなくなる中で引き続き担当さえてもらえてる環境には感謝しかないのです。
でも私と同じような役回りが辛そうな人が居ないかと言うと嘘になるっていうのはジョブローテーションがある組織ならどこでも同じだと思うのですが、とりあえず今のところで必要とされるように立ち回らないと駄目だよねということを心に戒めつつ「遠き山に日は落ちて」の例のメロディーを聞きながら人生の日暮れまでもうちょっと働くぞと思う今日この頃です。

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